21世紀に伝えたい本

後藤――焚書坑儒(笑).本がないと考えられないっていうのは弱いですよね.またつくりゃいいとか思うほうがいい.でも,ナチスじゃないけど,本とか抹殺してしまうと,本当に固有の文化を消すことになっちゃいますよね.僕はキーファーがつくった全ページ焼けた本《焼き尽くされたブーヘン》[X]を見たときは本当に編集者として嫉妬しましたね.本つくるときに,やっぱりこれをライヴァルに考えないとダメだなって(笑).

坂本――後藤さんは膨大に読んでいるけど,最近は何かいい本あった?

後藤――ちょっと前だけど,建築家のレム・コールハースのつくった『S,M,L,XL』[XI]とかはブック・デザインもすごいけど,編集的にもすごくよくできてましたね.あと,一連の『ヴィジョネア』のシリーズとか.

坂本――先日,JFKの飛行場で本屋をのぞいてたら,ケルアックの厚い本があって,彼のノートをそのまま本にしちゃった感じのもので,本として完成してない感じがとてもよかったな.ケルアックって仏教にすごくはまってたから,漢字のメモなんかもそのまま入っててよかった.

後藤――そういうのだと,昔のフルクサスのメモとかをそのままリプリントしてファイルしちゃったやつとか,僕も好きですね.いま,写真がブームだったりして,みんなコンパクト・カメラで写真撮るけど,必ず手帳を持ってて,そこにコトバを書いたり,写真なんかもコラージュしてるんですね.ああ,自分だけの本をつくってるんだなと思って見てるんですけどね.

坂本――大竹伸朗のもありますね.ああいうの好きだなあ.

後藤――本って,きれいにデザインしていったほうが表現者として「強度」があるとは限らないんですよね.リアリティっていうか.いまの若い人はそのことを肌で知ってますよね.マックとかで同じようなテクスチャーを使ってるから,逆に違和感を求めたりね.

坂本――でも違和感をわざと意図してつくらなきゃいけないというのも,悲しい気がするけど.僕が好きなのは,インドなどの,町で売ってる小学生用のノートとかね.印刷も悪いし,きちんと製本されてないし,紙の質も悪い.あれがすばらしいよね.

後藤――天然の異質感.あれには勝てない(笑).

坂本――かつて本本堂という出版社を始めて,『本本堂未刊行目録』[XII]をつくったとき,もちろん「オブジェとしての本」というアスペクトも当然あったけど,僕が一番やりたかったのは,プロセスとしての本.「現在進行形の本」っていうことをどうやって表わせるかってことだったのね.「刻々と変化していく本」とか「腐っていく本」とかね.本の外見だけじゃなくてね,内容的にも「進行しつづける小説」とかね.中上健次や村上龍にもその当時話したんだけど,例えばバインダーに1枚だけ書きかけの紙があって,それを出版するの.それを買った人のところに次々に続きが送られていく.途中で手直しとかがあれば,前の月のページは破いてくださいとかね.その当時は,電子メディアがなかったんで,そんなふうなことを考えてた.


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