21世紀に伝えたい本 |
後藤――自分自身が高度資本主義の産物みたいなものなわけだから,自己解体するプロセスが思考だったり,表現だったりってことから始まったわけですよね. 坂本――うん,そうね.当時,フーコーを読んでおもしろいと思ったのは,自分がやってる音楽のなかにも権力関係というのはあって,例えば一番わかりやすいのは,作曲家と演奏家,聴衆の関係だよね.作家の特権性を否定し,有名性を否定し匿名性を目指すとか. 後藤――自分の消し方とか.もっと後だけど,テクノとか出てくる感覚のもとにもなってますよね.中心をつくる発想じゃなくて,ループとか,断片とか分散とかっていう別の構造の発想へスライドしたり.それも個人的には本とか編集の構造を考えるうえですごく基本になりましたけどね. 坂本――ずいぶん前だけど,ベルリンのホテルで朝3時頃,TVでラヴ・パレードをぼーっと見てたら,プラカードのなかに「アンチ・インディヴィデュアリズム」って書いてあるのを見た.90年代以降のテクノのなかに,再びトランスみたいなかたちで自分を消すっていうか,個人性を消したいっていう欲望が出てきて,面白いと思った.繰り返し出てくるんだよね. 後藤――当時,オブジェとしての本とか,ダダイストやシュルレアリストたちの実験みたいなものも,ずいぶん紹介されて入ってきたでしょ.デュシャンは,すごく好きだったんですけど,坂本さんはどうでした? 坂本――デュシャンはいい.瀧口修造の本はヴィジュアルとして面白かったけど,アンドレ・ブルトンってかったるかったね(笑).ケージとかクセナキスみたいな音楽から得られるような衝撃ってなかった.ブルトンよりバタイユのほうが好きだった.はるかに音楽的だと思った.北園克衛の『VOU』[VII]っていう詩の実験誌が大好きでさ,もう彼は亡くなってたんだけど,どうしても欲しかったから,奥さんに手紙書いて一冊残ってたのをわけてもらったりしたな. 後藤――ここに,リシツキーがブック・デザインをしたマヤコフスキーの詩集[VIII]をもってきたんですけど,これはグルジアに行ったときに,マヤコフスキー博物館で分けてもらったものです(笑).エディトリアルのものでも好きなものなんだけど,今世紀って,コマーシャルもプロパガンダも同じように発生したでしょ.ロシア・アヴァンギャルドってその大実験場なわけです.マヤコフスキーやロトチェンコなんて,広告もつくってますからね.そっちのほうが,僕らのエディトリアルやヴィジュアル・センスのベースになってる気がしますね. 坂本――僕が未来派に興味をもったのは,やはりバウハウスと構成主義をとおしてだよね.未来派っていうのは,20世紀の最初を飾る芸術運動だ.そこには,電気,スピード,強度と,今世紀ならではの美学が入ってる. 後藤――だから,なんていうか,イマジネーションとか思考を,神秘じゃなくって,もっと機械みたいにクールに扱ってくれる感覚のほうが好きだったり. 坂本――そう.やっぱり思考の気高さみたいなもので言えば,もう,ドゥルーズが圧倒的だと思う.上品だな.神秘主義的なものを一切排除する,その感覚もすごく好きです.ただ,フーコーにしてもドゥルーズにしても,結局,哲学や倫理の問題になっていってしまった気がする.僕はもっと現実の問題のほうに興味があって,例えばガタリは,精神分析という科学をやりながら,運動家,実践家であった.そういう人にすごく共感する.だから本を考えるときに,たかが本じゃないか,読み物にしかすぎないじゃない,っていう気持ちもあるんだよね. |
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