21世紀に伝えたい本

後藤――『skmt』[IV]をつくったとき,お宅でスケッチブックを拝見したことがありました.

坂本――だから下手なんだ(笑).下手だったけど,すごく好きだった.で,高校になると哲学とか政治に興味をもって,ニーチェとかマルクスとか,カント,レーニンなど,父の書架にあるものをこっそり持ち出して,自分の本棚のほうに入れてしまいました.いまだに,返せって言われるんだけど(笑).

後藤――60年代後半,ちょうど日本が高度経済成長真っ盛りで,経済は右上がり.でもその一方で矛盾が噴き出して,政治闘争が激しくなる頃ですね.

坂本――ちょうど僕が高校に入学した1967年の春に砂川闘争があり,同じ年の秋に羽田闘争があり,京大生が警察に殺されたりして,政治活動がもりあがっていくんですね.僕が高校の1年のとき,2年上に一人の上級生がいて,彼は政治少年だったんだけど,同時に哲学・文学にすごく入り込んでいた.北村透谷に影響された歌をつくったりしていた.その頃僕は彼から一番影響を受けたんですね.その彼がある日,『虚空』[V]っていう,たった漢字二文字の真っ黒い本を抱えていて,それが埴谷雄高の本だった.メチャクチャかっこよくてね(笑).すぐに買って大切にしてたのを覚えてます.かわいいもんですね.

後藤――文学書はどうでした?

坂本――僕は文学少年じゃなかったですね.だけど,上級生の彼に影響されて,保田與重郎,三島由紀夫,村上一郎,北村透谷とかは読みましたね.それから,政治という文脈じゃないけど,大江健三郎も初期のものはほとんど全部読みました.むしろ同時代の作品は読んでない.『万延元年のフットボール』とかは,なんか時代遅れな気がしてたから.

後藤――僕は坂本さんより2歳年下なんですけど,当時2歳違うっていうのは,すごく大きかったんですね.

坂本――そりゃいつの時代だって,その歳頃の2歳の差は大きいよね.僕だって,その上級生とは2歳違いだけど,彼なんてもう全然大人っていう感じだった.

後藤――僕は,育ったのが大阪の近郊都市の豊中市というところで,当時の最大のニュータウン・エリアですね.急激に学級が増えて,近所に万博会場がつくられたり,バブルの街ですよ.友だちの兄貴とか高校で封鎖やったりしてるんですが,僕らが高校に入ると,壊れた校舎だけがあって,もう終わってるんです.なんか空虚感だけがあってね.だからもう,環境的にはすっごく新しくてきれいな街なんだけど,伝統とか,ちゃんと文学を読むとかっていう感覚が失われる.もう生きてる空間自体が解体しちゃってるところで育ったんですよ.

坂本――じゃあ,本の記憶っていうと何だろう?

後藤――だから小説とかより科学の本とか.それから,本ではないんですが,ソヴィエトがチェコスロヴァキアに侵攻したでしょ.

坂本――68年のプラハの春だね.

後藤――あのとき,新聞のレイアウトが異様に変わって,タイプフェイスがすっごく大きくなったんですね.僕が中・高校生の頃,ちょうど日本に政治的な思想の本と同時期に,ポップ・アートとか,シュルレアリスム,ダダイスム,ロシア構成主義とかの本が入ってきて,思想はわからなくても,カタチやグラフィックから革命とか政治っていうものに入っていった.進学校にもかかわらず,絵ばっかり描いてすごしてましたから,ダイレクトに影響されましたね.大学に入ったときは,闘争は東京では終わってたんですが,僕は京都にいたんで,まだくすぶりがありましたから,初めて間に合った気がしました(笑).


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