SRLカタルシス

NF ――そうすると,80 年代後期のNEA 問題[★4 ]とも関わっていましたね?

MP ――ああ,僕も巻き込まれたよ(笑).実はニューヨーク州のアートパークという小さな町でショーをやることになっていた.いい町だった.ちょうどキリスト教原理主義者たちがメイプルソープの展覧会に抗議したり,いろんなアーティストを槍玉に上げて,自分たちの存在をアピールしていた時期だったんで,あるアイディアを思いついたんだ.田舎から出てきたキリスト教信者たちが都会に進出しようというんなら,こっちも反キリスト教のレトリックとか都会的振舞いというものを田舎にもっていって,そでどうなるか見てやろうじゃないかと.それでこそフェアというものさ.キリスト教右派のイデオロギーをショーで揶揄して,真っ向から勝負してやろう.そう決めたんだ.
具体的には,マシンを聖書で覆って焼き払うというシーンを設けた.ちょうどスペースシャトルを覆っている保護タイルみたいにバーンと弾き飛ばして,笑いを取ろうというわけだ.そこで僕らはサンフランシスコ中から聖書を集める傍ら,ポスターを貼ってまわった.その頃キリスト教原理主義者は不道徳アートの監視要員を各地に送り込んでいて,当然僕たちのポスターを見つけた.そしてそれが全米規模の抗議キャンペーンに発展し,お陰でショーは中止されてしまったんだ.僕は契約不履行でニューヨーク州を連邦裁判所に訴え,4 年後に1 万ドルの賠償金を勝ち取った.しかし,妙な記事はさんざん出るし,キリスト教右派の幹部たちと一緒に次から次へと取材される羽目になった.彼らをコケにするのは楽しかったけどね.つまり,本来はショーでやりたかったことをメディアでやらされることになったわけだけど,あ, ショーのキャンセルで失った金は戻ったし,大したことはない.当時はかなり大きな事件だったよ.全国放送のテレビで右翼系のジャーナリストに攻撃され続けたが,面白いこともあれこれ起こった.

NF ――カレン・フィンリーも反NEA 問題で有名なアーティストですが,そのとき,彼女も一緒にアクションをしてたんですか?

MP ――そう,彼女も攻撃対象になっていて,助成金を帳消しにされたこともあった.彼女は相手を訴えて勝訴し,その助成金を取り戻したと記憶している.だが,それも果てしない戦いの一幕で,厳しい時期だったよ.当時は,キリスト教原理主義者たちはアメリカ人をまったくジョークの通じない国民に仕立て上げようとしていたんだな.そして悲しいかな,大衆もそれに雷同してしまった.長いあいだ,アメリカというのは自分自身を笑えない国だったんだ.いまは違うけどね.

NF ――80 年代後半のアンチNEA 運動の顛末はどうなったんでしょうか?

MP ――80 年代以前はどこのギャラリーも典型的なアートをやっていたし,1 年に1 回は道徳的に問題になりそうな展覧会をやっていた.僕たちもそういったプログラムのお陰でショーをやるチャンスが結構あったんだ.でもいまはそういう危険なものをプロデュースするところは皆無になった.あるとすればアーティストがセルフ・プロデュースしたものだけ.過激なことをするギャラリーはまったくと言っていいほどなくなってしまった.
1999 年秋のブルックリン美術館の事件[★5 ]を見てもわかるだろう.あれはただの絵画だよ,伝統芸術.あれがアメリカで10年ぶりに起こった「問題のショー」だというんだからね.おまけにアーティストはアメリカ人じゃなくてイギリス人.アメリカ人にはもう危ない作品を作る奴はいなくなった,カレン・フィンリーなど,わずか数人を除いてはね.


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