ジョージ・ソロス / 投資と慈善が世界を開く

04.グローバリズムvs開かれた社会

 以上においてわれわれは,ソロスの哲学の根幹にある「再帰性」の概念と,そこから構築された「ブーム=バースト理論」を検討した.最後に本節では,ソロスのいう「開かれた社会」という理念を,グローバリズムとの対比において検討したい.

04-a.グローバリズム

 均衡分析によって市場を理解することはできないというソロスの批判は,他方では同時に,グローバル経済に対する批判として現われる.グローバリズムは,たとえ均衡分析によって理論的に正当化されるとしても,市場の本質を理解しようとする経済哲学の観点からすれば,決して正当化されるわけではない.グローバリズムの正当化根拠は薄弱なものであり,われわれはこれを「開かれた社会」という別の社会理念に置き換えなければならない.これがソロスの中心的なメッセージである.

 しかしこれに対して斎藤精一郎氏は,ソロスの本音がどうもよく見えないとして,「市場主義で巨額な富を築きながら,何故に『市場原理が開かれた社会の基盤を崩す』と断定するのか」と疑問を呈し,ソロスを便宜主義者であると批判している[★22].なるほどソロス自身,次のように述べている.「私は証券アナリスト時代に,仕事の都合でゆがめられた理論を承知のうえで支持していたのだから,私はほかの誰よりもずるいのだ」.グローバル市場を舞台に巨万の富を手に入れながら,他方においてグローバリズムを批判するというソロスの態度は,確かに矛盾している.最近のソロスは,金融市場に対していっそう強い規制を求めているが,クルーグマンはそのメッセージを,「私がこれ以上儲ける前に,私の行動を止めてくれ!」という意味だと揶揄している.しかし私はむしろ,「これから先,私よりも儲ける人を出さないでくれ!」という権力への関心の現われであると思う.

 いずれにせよ,ソロスの野心が何であれ,その思想的メッセージが妥当なものであれば,われわれはこれを社会構想の基本理念として受け入れることができるはずだ.以下では,ソロスの社会理念について検討してみたい.  経済におけるグローバリズムは,「市場原理主義」[★23]と呼ぶこともできる.その思想的特徴は,次の四つである.第一に,市場はその自動修正機能によって均衡に向かうのであるから,人々はこのことを共通の信念とすべきであると考える.第二に,すべての人に自己利益の追求を認めることが,全体の繁栄につながると考える.第三に,集団的な決定によって全体の利益を守ろうとする試みは,市場メカニズムを歪めるものであるから,望ましくないと考える.第四に,マネーは権力であり,権力はそれ自体で目的になりうるが,マネーを求め続ける人々が最大の社会的影響力をもったとしても,これを承認すべきであると考える.以上である.

 ソロスによれば,「グローバリズム資本主義システムの大きな欠点の一つは,それが市場メカニズムと利益追求願望を,本来はそれらとはまったく関係のない活動分野にまで侵食することを許してしまったことにある」.例えば,市民的公共性や慈愛や家族のスキンシップなどは,グローバル経済によって侵食されるべきではない.

 また投機道徳の問題がある.動的不均衡過程をたどるグローバル市場において,投機家の行動は社会に破壊的な影響をもたすことがある.しかし投機家は,自分がそのように行為しなくても,別の人がそのように行為することによって,事態は同じように進行したであろうと予測できるから,道義的責任を感じる理由をもたない.つまり,自分の行為が代替性と匿名性の高いものである場合には,全体としての社会的損害は,各参与者の内面の道徳的問題まで喚起しないのである.グローバリズムにおいてはこのように,投機家の道徳を問えないことが,大きな問題である.ソロスによれば,グローバリズムは「開かれた社会」の歪められた形態であり,何らかの道徳的規範によって是正されなければならない.

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