ジョージ・ソロス / 投資と慈善が世界を開く

03-d.錬金術

 以上にみてきた「ブーム=バースト理論」は,なるほど,実際の金融市場をうまく記述してはいる.しかしその理論的なステイタスは,あまり科学的なものではないと思われるかもしれない.事実ソロスは,自分の理論を科学ではなく錬金術であると述べている.錬金術と称するには,深い理由が二つある.

 第一に,ソロスの理論は,まさに金融市場で利益を上げる方法を理論化したものであり,その思考は「参与者」のものである.参与者の思考は,科学的な観察者の立場とは本質的に異なり,対象(市場)に影響を与えるものである.科学的方法は,ものごとのあるがままの姿を理解しようとするが,これに対して錬金術は,物事の望ましい状態を実現させることを目指している.科学の目的は真理であるが,錬金術の目的は操作上の成功である.科学的な方法は,仮説の妥当性が実験によって確認できると考えるが,意志をもつ参加者が対象に含まれる市場社会では,実験が成功したからといって,仮説の妥当性が証明されるわけではない.ときには誤った予測をしても,莫大な利益がもたらされることがある.また,ある理論の科学性が参加者たちに権威をもって受け入れられるならば,人々がその理論に基づいて行動することによって,市場のプロセスは変化する.理論や予測は,それ自体が事象を変化させるのであり,非科学的な理論が実験として成功することもある.つまり事実は,一般命題の妥当性を判断する基準にはならないのである.

 それゆえ第二に,市場の動向を予測する理論は,たとえそれがまちがっていても,成功すれば「真理」であるということになり,真偽の基準それ自体が意味をなさないことになる.近代科学が用いる真理の基準は,対象と理論が再帰的関係をもつ場合には通用しない.事実は必ずしも真理の独立した基準とはならない.したがって再帰性に関する理論は,科学ではなく「錬金術」だということになる.ソロスによれば,再帰的な命題の真理値は決定できない.命題には,「真」と「偽」と「再帰的」という三つのカテゴリーがあって,再帰的な命題は,真偽判断の不可能な領域にある.最近の理論的成果である株式の「ランダム・ウォーク理論」[★21]は,参加者の再帰的なバイアスを一次的なズレとして処理することによって,その科学性を保持しているが,ソロスはそのバイアスを「再帰性」理論に位置づけ直し,従来の真偽基準には囚われずに,市場を理解しようとする.

 ただし,再帰的関係の効果が明らかに特定できる場合には,再帰的命題の真理性を判断することができる.例えば,IMFが特定の国について懸念を表明すれば,言及した国に多大な損害が与えられることが予測できるとしよう.この場合,IMFの当局者は真理を公開するわけにはいかない.事象に対して真理が再帰的に影響を及ぼすならば,真理の探求にもときには非公開が要求される.再帰性の存在するところでは,いかなる科学的理論も妥当性を論証することはできないが,しかし何が誤った,あるいは歪んだ理論であるかについては,判断できる場合がある.よき錬金術は,科学的な理論の乱用を防ぎつつ,噂や勘に基づく曖昧な予測手法を理論的に洗練させていかねばならない.われわれは,何が正しいかについて正確に判断できなくても,それを見分けるセンスをもつことはできるのであり,ソロスによれば,そうしたセンスを磨くことは,「開かれた社会」を築くために必要な徳育である.

前のページへleft right次のページへ