ジョージ・ソロス / 投資と慈善が世界を開く

03-c.ブーム=バースト理論

 ソロスはまず,次の二つの命題から出発する.一つは,市場は常に,ある方向にバイアスしているという命題.もう一つは,市場の現在の状況が,その将来の展開に影響を与えるという命題である.この二つの命題に対応して,「支配的バイアス」[★17]と「潜在的トレンド」[★18]という概念装置を導入する.すなわち,市場には,その全体の雰囲気を決めるような「支配的バイアス」があり,また,参加者が意識するしないにかかわらず,株価に影響力をもつ(しかし参加者の考え方次第でその影響の仕方が変わってくる)ような「潜在的トレンド」(例えば一株あたりの利益)があると考える.その場合,株価が「潜在的トレンド」を強化する事態を「自己強化トレンド」と呼び,その反対を「自己修正トレンド」と呼ぶ(なおまた支配的バイアスにも「自己強化」と「自己修正」の二つがある).

 ソロスは以上のような概念装置を用いて,「ブーム(暴騰)」の後に「バースト(暴落)」が訪れるという株価の動きを理論化する.まず,市場参加者が潜在的なトレンドを認識すると,認識の変化は株価に影響を与える.次に,株価が潜在的トレンドを強化するように動くと,今度はそれが,支配的バイアスに影響を与え,バイアスを加速したり,あるいはその修正をもたらすことになる.ここで肯定的なバイアスが加速されると,株価は期待を上回る速さで上昇していく.そしてバイアスとトレンドの相乗効果が働き,やがて株価の上昇が市場の期待に答えられなくなる状況にいたる.このとき,支配的バイアスが下方修正されると,今度はそれに対して潜在的トレンドが従属し,逆の自己強化プロセスが生じて,株価は落ちるところまで落ちる.これが「バースト(暴落)」の過程である.ソロスが典型的だとする「ブーム=バースト」のパターンにおいては,株価が急落しても,潜在的トレンドとしての「一株当たりの利益」は急落せず,ゆるやかに下落する.そしてその後,トレンド追従型の投機的資金移動がはじまり,下落は長期化することになる.また「一株当たり利益」の下落が,株価の下落と相乗効果をもつ場合には,株価の暴落はさらにいっそう深刻なものとなるはずである.

 以上のような「ブーム=バースト」の過程は,市場において常に見られるものではない.むしろ限定された時期と場所においてしか起こらない.ソロスの卓越した能力は,「ブーム=バースト」の大きな動きを,逸早く察知するところにある.効率性市場仮説に基づく従来の投資ポートフォリオ・インシュアランスは,リスク管理に関してほぼ完璧に機能するが,この仮説の前提では捉えきれないような市場の不連続性にさしかかると,実際には注文をこなせなくなり,破滅的な損失を出す.これが例えば1987年の株式市場大暴落である[★19].ソロスが関心を寄せるのは,そうした市場の不連続性である.ソロスはある決まったルールに従って行動しているのではなく,ゲームのルールの変化を捉えようとしており,その対象は,市場管理能力の限界から生じる国家体制の歴史的な変動過程にも及ぶ.例えば固定相場制度のもとで,経済の現状と政策とのあいだに矛盾がある場合,投機家はその国の通貨に売りを浴びせ,切り下げに追い込むことによって,利益を上げることができる.1992年のアジア通貨危機は,そのようにして生まれたものであった[★20].

 「ブーム=バースト」の過程は,今後世界的に広がる可能性がある.というのも投機的資金の移動が増大し,人々がトレンド追従型の投機行動を強めるようになれば,市場は不安定になるからである.もっとも,トレンド追従型の行動にはそれなりの合理性がある.例えばある種の動物が群れをなして移動することに合理性があるように,投資家の場合にも,トレンドに追従するならば,上昇(下降)の流れに乗って収益を上げられる.相場の変わり目のときには傷つくかもしれないが,十分に警戒していれば生き残れる可能性が高い.したがって,人々が「群れ」をなす習慣に甘んじるならば,経済社会はきわめて不安定なものとなるだろう.

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