山口勝弘インタヴュー/教育のアヴァンギャルド

■註

★1
筑波大学芸術学系教授.東京教育大学芸術学科卒業後,スウェーデン王立美術院大学およびイタリア・フィレンツェ美術アカデミー留学.1980年頃からホログラフィをはじめ,1987年Artists-in-Residence Award(ニューヨーク,ホログラフィ・ミュージアム)受賞,「'93世界のホログラフィ・アート」展(東京・大丸ミュージアム)企画・監修,1996年Holography Award(アメリカ,シェアウォーター・ファンデーション)受賞.
★2
Michael Goldberg. 1945年カナダ生まれ.ヴァンクーヴァーで Video In を主宰した後,1971年に来日.日本のヴィデオ・アート啓蒙に尽くした.1979年度筑波大学芸術学系外国人教師.現在,日本電子専門学校で教える.著書『マイケルさんの VIDEO IN OUT』(ダゲレオ出版,1989).
★3
Donald Karl Thornton. ロードアイランド・デザイン・スクール卒業後,ブラウン大学でホログラフィ・アートでMA(修士)取得.MIT高等視覚研究所研究員を経て,1981年度筑波大学芸術学系外国人教師.
★4
1972年,カナダのヴィデオ作家マイケル・ゴールドバーグの来日を契機に,ヴィデオによる芸術活動を目的として結成されたグループ.かわなかのぶひろ,小林はくどう,中谷芙二子,宮井陸郎,萩原朔美らが参加.グループ名は美術評論家の東野芳明が命名.そのデモンストレーションを兼ねた発表会「ビデオ・コミュニケーション/Do It Yourself Kit」を銀座のソニービルで開催.日本から約10作品,カナダ,アメリカから約10作品が参加した.その後,80年代に到るさまざまなヴィデオ・シーンを内外で演出した.
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1932年生まれ.東京大学文学部美学美術史学科卒業後,新理研映画に入社.55年《銀輪》の助監督として北代省三,山口勝弘と特撮を担当.同社退社後,記録映画を撮る一方,『記録映画』や第一次『映画批評』誌上でのアヴァンギャルドとドキュメンタリーの統一をめざした理論活動が松竹ヌーヴェルヴァーグにも影響を与えた.映画詩《石の詩》(63年)は当時の代表作.67年,寺山修司脚本の《母たち》でヴェネツィア国際記録映画祭グランプリを受賞,68年松本プロダクションを設立,《薔薇の葬列》(69年),《修羅》(71年),《16歳の戦争》(73年)などの劇映画をてがける.その後,実験映画を連作し,《気=Breathing》(80年)はオーバーハウゼン国際短編映画祭最高賞を受賞.88年,夢野久作の《ドグラ・マグラ》を映画化した.91年,京都造形大学教授就任.著書=『映像の発見』『表現の世界』『映画の変革』(いずれも三一書房),『幻視の美学』(フィルムアート社)など.
★6
1941年生まれ.69年に「アンダーグラウンド・センター」を創設して,実験映画,個人映画制作と連動して活動を展開.77年に「イメージフォーラム」と改称して常設の上映会場と付属映像研究所を開くなど,オーガナイザーとして活躍.その作家活動は初期から「記憶」をモティーフにすえ,《写真銃》(74年),《透過装置》(75年),《SWITCH BACK》(76年)などによって自己を映画史に重ねる一連の作品を制作.また,萩原朔美との「往復書簡」シリーズを経て,《B》(83年),《B'》(84年)では,映像の上の記憶として敷延させた作品を展開した.その後は,《私小説》(87年),《私小説2・FILM》(88年)ではフィルムの映像を素材にして,記憶そのものをつくりだす.ヴィデオ作品も制作.著書=『映画・日常の実験』(フィルムアート社)は「アングラ映画」時代の日本の実験映画について述べられたものとして資料的に貴重である.東京造形大学助教授,イメージフォーラム付属映像研究所専任講師.全日本ビデオコンテスト審査員.
★7
アメリカ合衆国ノースウェスタン大学美術科卒業.62年東京画廊での油絵個展から作家活動を開始.67年,ニューヨークで芸術と技術の実験グループExperiments in Art and Technology(EAT)に参加,69年同東京支部代表となる.70年大阪万博国際ペプシ館で世界で初めて《霧の彫刻》を発表.以後,世界各地で人工霧を使った景観デザイン,公園,モニュメント,噴水,舞台装置,イヴェントなどをてがける.71年ストックホルム近代美術館主催の「ユートピアとヴィジョン」展でストックホルム,ニューヨク,アメダバード,東京の4都市をテレックスで結ぶ《情報彫刻=ユートピアQ&A》を企画制作.72年「ビデオひろば」に参加.80年ビデオギャラリーSCANを設立,美術館・公共機関へのビデオ・アート作品の配給,新作コンペによる若手の育成,国内外のビデオ展の作品選考や企画・制作など幅広い活動を展開.「JAPAN国際ビデオ・テレビ・フェスティバル」ほかを主催する.80年代から現在まで,内外の映像関係の催しの審査員,企画委員をつとめる.99年NTTマルチメディア・アーカイヴに制作協力(東京都写真美術館).
★8
1944年生まれ.ヴィデオ作家.多摩美術大学卒業後活動開始.「はくどうマシン展」(東京・ウォーカー画廊,68年),「日本現代美術展」(69年),大阪万博(70年)三井館などで《はくどうマシン》を発表.71年,EATメンバーとして4都市をテレックスで結ぶ 《情報彫刻=ユートピアQ&A》に参加.72年「ビデオひろば」に参加.「東京ビエンナーレ」(74年),「オープン・エンカウンター・オン・ヴィデオ」(バルセロナ,ミロ美術館,78年),「ビデオ・東京から福井,京都まで」(ニューヨーク近代美術館,79年),「ジャパン・ビデオ・フェスティバル」(パリ,81年),「シドニー・ビエンナーレ」(82年),「ビデオナーレ」(ボン,88年),「花博」(90年)三菱未来館演出,「はくどうのビデオジャングル」(キリンプラザ大阪,90年),「戦後日本美術の前衛展」(横浜市美術館/ニューヨーク,グッゲンハイム美術館ソーホー,94年),「マルチメディア・アーカイヴ実験2000」(東京都写真美術館,99年).79−93年,国立市で「ビデオ・コミュニティ」活動.79年から現在まで「東京ビデオ・フェスティバル」審査員.著書=『TV番組をつくろう』(リブリオ出版),『市民ビデオ宣言』(玄光社).成安造形大学教授,映像社会学専攻.
★9
1943年東京生まれ.東北芸術工科大学情報デザイン学科教授.多摩美術大学在学中からコンピュータをはじめとするメディア・アートをてがける.近年は,コンピュータを使って,漢字のアトランダムな組み合わせを堆積造本する仕事がつづき,1998年ICCでの「バベルの図書館」展にも出品した.
★10
1942年生まれ.東京教育大学教育学部卒業,同大学教育学部教育学専攻科芸術学専攻修了.筑波大学芸術学系教授,横浜国立大学非常勤講師.構成学,メディア・アート専攻.著書=『テクノロジー・アート』(青土社),『フラクタル造形』(鹿島出版会),『美のジャポニスム』(文春新書),『コンピュータ・グラフィックスの世界』(講談社ブルーバックス),『フラクタル科学入門』(日本実業出版社),『美の構成学』『ガーデニングの愉しみ』(いずれも中公新書)など.
★11
1929年生まれ.東京大学文学部美学美術史学科卒業.通産省工業技術院製品科学研究所デザイン課長,北海道東海大学デザイン学科教授,大阪芸術大学デザイン学科および大学院教授,株式会社COMTREE代表取締役などを歴任.著書=『日本のデザイン運動』(ぺりかん社),『図の体系』(日科技連出版社),『コンピュータグラフィック・樹木』(築地書館),『CGによるデザイン技法』(専門教育出版)など.
★12
1932年生まれ.55年東京芸術大学音楽学部作曲科在学中に芸術賞受賞.同大学卒業後,パリに留学,コンセルヴァトヮールでオリヴィエ・メシアン,アンドレ・ジョリヴェに師事.音楽の研究と同時に社会動学を研究.59年帰国後,作曲活動と並行して,社会的コミュニケーションおよび芸術表現のメディアとしてコンピュータ技術の研究開発に取り組む.72年,コンピュータ・アート・センターを設立,山口勝弘,高橋士郎,幸村真佐男らとともに国際コンピュータ・アート展を企画実施し,あたらしい技術の国際交流を行なう.74年,ソシアル・ダイナミクス研究所を設立,通産省を始め各省庁,民間企業,各種団体より社会コミュニケーション,社会構造の変動に対応するポリシーの策定と運用等に関する研究およびび実施を受託し,同時に,現代の最新技術の一つであるインフォーマティック・テクノロジ−(IT)およびコンピュータ・グラフィックスの開発に重点をおき,この分野の先駆的な研究開発を行なう.また,同研究所は社会メディアとしての博物館,知の空間の機能,HRD(Human Resource/s Development)の研究開発を行ない,社会的実用に努める.78−92年,日本大学において「映像科学」を講義.93年,東北芸術工科大学教授(情報環境学)に就任,現在に至る.
★13
1926年生まれ.金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術大学)彫刻科卒業.美学専攻.女子美術大学でコンピュータによる造形を講義.日本デザイン学会評議員,日本図学会,情報処理学会,日本人間工学会会員.著書=『パソコンによるグラフィックスとデザイン』(一橋出版)など.
★14
科学と技術の成果を芸術やデザインに生かし,科学者,技術者,芸術家が話しあえる場をつくることを目的に設立された.グループ名は「総合された諸技術,総合された諸芸術」を意味するフランス語のarts-unisによる.その活動は展覧会(「ハイテクノロジーアート展」「光の造形展」ほか),研究会,ワークショップなど多岐にわたり,若手の育成にも力が注がれ,コンピュータ,レーザー,ホログラフィ,ヴィデオ,ロボットなどの電子メディアによる芸術表現の世界に新たな人材を輩出した.
★15
1951年,秋山邦晴,大辻清司,北代省三,駒井哲郎,佐藤慶次郎,鈴木博義,武満徹,福島和夫,福島秀子,山口勝弘,湯浅譲二など,音楽,写真,美術といった分野から若い世代が集まって総合芸術の実験をめざして結成された.同年,日本橋・高島屋で開催された「ピカソ」展の前夜祭として第1回実験工房展が開かれ,バレエ《生きる悦び》が発表された.その後,メシアン,バーンスタインなどの作品を演奏するとともに,モビールを用いた会場構成や照明演出によって音楽と造形の総合を試みた.
★16
幻灯機とテープ・レコーダーとを連結させた機械.各画面が自動的に転換し,かつその転換がテープの任意の位置に付されたカーボン・マークによって行なわれるため,画面と音が容易に同調させられるもの.上映は,ナレーションに音楽が伴奏された.その最初の発表は,1953年「試験飛行家W・S氏の眼の冒険」(構成:山口勝弘,作曲・編曲:鈴木博義,全77コマ)と題されて,第一生命ホールでもたれた.
★17
1903−79年.富山県生まれ.詩人,美術評論家.慶應義塾大学で西脇順三郎の刺激を受けて,シュルレアリスムに傾倒,アンドレ・ブルトンと親交を結び,30年にアンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』を翻訳し,詩的実験をつづけた.戦後50年から『読売新聞』の美術時評を担当,51−57年にタケミヤ画廊で前衛新人展を企画,同年結成の総合芸術集団「実験工房」の名付け親となる.60年代に,デカルコマニーなどの手法で作品制作,個展開催.65−67年,赤瀬川原平の「模型千円札裁判」で特別弁護人をつとめた.みすず書房から著作集『コレクション瀧口修造』全14冊(13卷,別巻1)が刊行されている.
★18
数枚の板ガラスを組み合わせ,縦横の網目を通してモアレ効果で絵柄が変化する作品.1952年,神田のタケミヤ画廊での実験工房第3回発表会(造形部門)で初めて発表された.このガラスによるレリーフ絵画を《ヴィトリーヌ》と命名した瀧口修造は,「ガラスの屈折を応用して動的な空間をつくりだしたあたらしい実験に成功」と評している.53年,「美術額」の名称で実用新案登録願が特許庁に提出された(願書番号は実願昭28-11060).当時デザイナーの勝井勝は,『工芸ニュース』1954年6月号で「美術作品でありながら,工業意匠のように特許をとった」と《ヴィトリーヌ》を紹介した.

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