ICC Report

YAMAGUCHI Katsuhiro

山口勝弘インタヴュー
教育のアヴァンギャルド

The Educational Avant-garde
An Interview with
Yamaguchi Katsuhiro



教育の現場に社会を持ち込むこと

 僕の教職歴は,1968−77年が非常勤講師として東京造形大学で「環境造形」を教えていました.これにはヴィデオも含まれています.77−92年が筑波大学で「総合造形」です.神戸芸術工科大学が92−99年までで,「視覚情報デザイン」です.そのあいだにも非常勤でいろいろな学校に行っていました.九州芸術工科大学,お茶の水女子大学,東京大学の表象文化などでも講義をもっていました.いずれも先駆的なカリキュラムができたときに行っていたわけですね.神戸芸術工科大学だけは,すでにカリキュラムの基本が確立されていましたが.

 そのなかでも教育の新しいカリキュラムづくりに本格的に立ち合ったのは,筑波大学の「総合造形」です.これはそれまでほかにはなかったもので,学科ではなくてコースなんです.筑波大学は全体が学生の集合体である芸術専門学群と先生の集合体の芸術学系に分かれていました.総合造形とは一体何なのか,これからどういうふうにカリキュラムを組んでいったらいいのかということを,後に三田村田タルム右[★1]先生がレポートに纏められましたが,そのときに僕が総合造形に関する全体の展望図をつくりました.それに基づいて新たに招聘された先生もいますし,非常勤でいろいろな分野の方々に来てもらったりしています.例えば,外国人教師として,マイケル・ゴールドバーグ[★2]を呼んだり,ドナルド・ソーントン[★3]というホログラフィの先生を呼んだりして,メディアに関わる外国人の先生をどんどん引っ張ってきています.その展望どおり理想的に運営されたわけではないけれども,外に向かう視野はもっていたんですね.

 日本語の総合造形を横文字にすれば,Plastic Arts and Mixed Mediaとなります.造形芸術と複合媒体ということになります.そこでこの新しい教育カリキュラムがマルチメディア社会の進展とどのように絡んでいるかということを考えるとき,時代の変遷にあわせて僕たちが学校外でグループ活動を展開してきたことと関係します.その一つが,ヴィデオのコミュニケーション・メディアとしての役割とアート・メディアとしての役割のなかで芸術家は社会とどのよう関われるかということを探究するために,1971年に結成した「ビデオひろば」[★4]というグループです.「ビデオひろば」の結成メンバーのなかから,やがていろいろな人が教育の場に入っていきます.松本俊夫[★5]は九州芸術工科大学,かわなかのぶひろ[★6]は僕の後任で,東京造形大学に行きます.中谷芙二子[★7]も日大芸術学部に教えに行き,小林はくどう[★8]も成安造形大学に行きました.ということは「ビデオひろば」の実践的な活動をしていた主要メンバーが教育にたずさわることで,社会的な観点を教育現場に持ち込んだことになります.

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