新たな文化・社会の情報基盤としての次世代インターネット |
デジタル社会,ネット社会の功罪
青山――インターネットの進展が新たな犯罪を生んでいるのは周知のとおりです.しかし,犯罪が起きるからインターネットの高度化を止めようというのはおかしな議論ですし,そうならないのは歴史の教えるところです.やはり教育面や法制度ができるだけ早く新しいサイバー・ソサイエティに対応していくことが重要でしょう.科学者・技術者は世の中のことをよく考えもしないで核兵器のようなものまで造った,と批判されていますが,インターネットをサイバー・ソサイエティの核兵器にしないようにするためには,技術開発だけに目を向けるのではなく,社会制度,法制度,リテラシー教育,倫理教育などの早急な充実が必要でしょう. 武邑――現在想定できない新しい犯罪も起きるでしょうが,むしろそれ以上の革新こそが大きな社会変化だと思います.情報化が例えば「知覚」という単位になってパラダイムが変わったときに,例えばヴァーチュアル・リアリティなどをどういうかたちでリアリティのクライテリアとして認定するのか,それを誰が決めるのか,それが国家主権なのか,あるいは個人なのか,ということのレヴェルにまでなったときに,かなりの変化が認知されると思います. 青山――インターネットは距離をどんどんゼロにし,国境などのボーダーを消失させていきますが,同様に,リアルとヴァーチュアルのボーダーも限りなくゼロにしていきます.どこまでがリアルでどこからがヴァーチュアルかわからなくなっていきます.そこで問題がでてきているのは生き物とか生命とかが,ヴァーチュアルでもリアルでも同じだと錯覚することです.子供たちがゲームマシンの戦争ごっこで簡単に人を殺し,それをリアルの世界でも起こしてしまうのではないか.事実そういう事件が起こりつつあるわけで,大変深刻な問題です. 武邑――《プライベート・ライアン》という,えんえんと血が流れる映画をスピルバーグがつくりました.凄惨な身体性が極度に画面にあらわれる映画です.この映画の特徴は,いまの大人たちが,この地球上を覆っているリアリティの欠如や,身体性の欠如に対して,いまこそ提供すべき情報だとしている点です. 収縮する世界と拡張する個人は,拡張する世界と収縮する個人とパラレルだとも言えます.どちらかと言うと,拡張型の人間のなかで捉えていく地平というのは,夢があったり,未来があったり,時間と空間を超えていくという,漸進の世界に対しては案外盲目的に流れていくんだけれども,そこから落ちていく風景と言っているものが,いまわれわれが日常的に感じ取っているギャップだと思うんです. 青山――私はいまの幼稚園や小学校の子供たちは,われわれがそうだったころとまったく違うような気がするんだなあ. 武邑――いま,小学校低学年でパワーポイントを使っていますからね. 青山――ああいうのは子供たちにとって簡単に出来ちゃうわけですよ.われわれおじさんたちと違って彼らには別に難しい話じゃないんだから. |
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