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![]() ザ・セカンド ICC5階ロビー |
そもそもモンテヴィデオは,20年間携わったテレビの世界に失望したコエルヨ氏が,テクノロジーに「人間的要素」を付け加えようとして始めたものであった.シンポジウムの冒頭でコエルヨ氏は,「テクノロジーの最先端を追っていると,作家は内容を失い,一般の人々とのコンタクトを失う危険がある」と問題提起をし,彼のメディア・アート観がハイテクの追究とは別の次元にあることを強調した. 議論は多岐にわたったが,テクノロジーの進展とともにメディア・アートが引き受けてきた,複数性・複製性・インタラクティヴィティなど,従来とは異なる新しい美術の定義が,その基調となっていた.主たる具体的なテーマとしては,メディア・アートの保存とそれに対する作家/キュレーター/施設の姿勢,テクノロジーの進展に伴う機材の歴史的な制約およびソフトとハードの問題,オランダにおける公的なアートへの助成と作品の質との関係,作品の主題の問題,インタラクティヴ・アートにおける観客を包括する作品環境,物質性とコンセプト,メディア・アートによる美術教育の変化,旧来の美術がメディア・アートと共存し交差する意義の大きさ,テクノロジーによる表現の均質性とオリジナリティの可能性など,いずれも重要な論点を含んでいた. 最後に,とりわけ注目すべきコエルヨ氏の発言を紹介したい.すなわち,メディア・アートは,草創期のヴィデオ・アートのように現代美術の媒体としての認知を求めようとして,「メディア・アート」に分類されることに自足していた段階をすでに終えている.多様化する媒体は,現代美術という総称のなかに組み込まれ,アーティストが自分の必要に応じて媒体を選ぶ段階へと移行しているのだ,と.欧米の現代美術の現況を踏まえたとき,この指摘はいまや自明の事実とも見える.しかし,コエルヨ氏がメディア・アート・インスティテュートであるモンテヴィデオを20年間牽引してきた事実こそ,この発言を重いものとしている.
[上神田敬] |
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