ICC Report

tv-drama

日本の映像作家
――ICCコレクション

1998年11月13日−12月27日
ICCシアター



「映像」という表現分野においてヴィデオというメディアは,それ自身のメディアとしての特性も手伝って独自のポジションを獲得していると言っていいだろう.それは実験映画やプライヴェート・フィルムなどとも異質な表現言語をもつものである.今回の上映はICCの映像コレクションのなかから日本人映像作家による作品を特集したものである.おもに80年代中期以降に若手の映像作家によって制作された,あくまでもメディアとしてヴィデオを使用することを前提にしている(と思われる)作品群が集められている(ただし,そうした世代の作家に影響を少なからずおよぼしているであろう松本俊夫による先駆的な作品など,いくつかのフィルム作品が含まれている).

先にヴィデオのメディアとしての特性と書いたが,具体的には操作の簡便性や機動性と記録された映像の可塑性(例えば合成やエフェクトなど)に優れていることといえるだろう.現在ではヴィデオやCGのツールの安価化やその性能の向上も手伝って,個人レヴェルでも技術的にクォリティの高い作品の制作も可能な状況ができている.
しかし,ここで紹介された映像作品の数々は,映像とそのツールを一つの思考装置とみなし,演技,撮影,編集などの作業=操作を介在させることによって映像表現を成立させるもので,それらのいくつかはある種のSFX的な映像とは対極にあるように見える.しかし,ある時期多くの表現者たちにとってヴィデオが新しい表現メディアとして取り上げられたのは,思考操作を行なうプロセスにそうしたツールの簡便性が有効であったのだと思う.

TVモニターをサディスティックに破壊しつづけるパフォーマンスの記録である島野義孝の《TV DRAMA》(1987).1989年より毎年シリーズ制作され,各年のトピックを題材として現代社会をその現代的な――外見的にはテレビやCMの技術的なシミュレーションのような――映像処理によって風刺するヴィジュアル・ブレインズ(風間正+大津はつね)の《De-Sign 1(kunren)》(1989).CGと映像をイマジナティヴに織りなす由良泰人の《CASE》(1994)など17作品を上映した.

[畠中 実]

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