Computer Graphics: A Half-technological Introduction |
3 アナクサゴラスの偉大な言葉によると,物事は正義に基づいて現象し,消えてゆく,といわれる.それに対して私は,決してコンピュータ・グラフィックスだけに限らない画像というものが,一般に不正義・不公正に基づいて現象するのだということと,その理由を述べてきた.脊椎動物の目は,(センサーとしての小さな棒と栓とのあいだで)「何なのか」という見方と「どうなっているのか」という見方とのあいだを,あるいはまた絵を楽しむ場合と戦争のような出来事とを,区別する.手垢の付いた画像(Bild)という言葉の代わりに空間操作という言葉を用いるのがよいと思われるが,私の以前の論文「時間軸の操作」の続きとして,空間操作においても,デニス・ガボールのことを思い出す人もいるだろう. コンピュータ・グラフィックスの公正さというものが存在するなら,それはしたがって,第二ジャンルのフレドホルム型積分方程式であるだろう.それはすなわち,「積分の内部と外部の双方に登場する未知関数の積分」のことで,その「重要な応用領域」は,象徴的なことであるが「量子物理学の粒子力学」[★15]にある.1986年,すなわち最初のラジオシティ・プログラムと古きよきレイ・トレーシング信奉者の人々とのあいだで競争が始まった頃,カリフォルニア工科大学のジム・カジヤは,彼の言うレンダリング方程式,すなわち一般的再現方程式を逆説的かつ物理学的に展開するという大胆な成果をあげた.私たちはだれでも怠慢さというものを抱えているが,カジヤの方程式では怠慢さは,変数のうちのいくつかを虚構の定数と交換しさえすればよい,という域に達していた.その結果レイ・トレーシングかラジオシティがアルゴリズムの部分量として算出されるというわけである. ハイデガーの近視眼的な語源解説によると,“Phanomenologie”,すなわちランベルトの魔法の言葉の中でも哲学史の上でも最も効果のあった言葉である現象学は,“legeinta phainonema”すなわち「現象しているものの収集」という用語に起源をもつとされている.視野の広いコンピュータ・グラフィックスでは,そのような収集などというものはまったく存在する必要がない,なぜなら,明るく光るラジオシティの面は最も安楽な投影面を決めてしまっているし,輝く光点は一番速い光線追跡の道筋を決めてしまえるからである.発射体は,あらゆる対語の中でも最もバカげた対語である主観と客観の対立を葬り去った. |
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