時間の速度を緩めると空間も広がる

アートの実践

LW──あなたはこうおっしゃっていますね.「アートの実践というかたちで,意識的世界も無意識的世界もかかわることができる」と.

BV――ええ,われわれはそれぞれに,なにかを完成させるための,自分たちがやっていることを発展させるための,かけがえのない意識をもっている.われわれはみんな,意識的なコントロールを行使するのです.でも,それと同時に,自分の意識的な考えを発達させすぎてしまうと,とても自意識過剰なアートしか生まれない.本当のところ,それは死んだアートなんですね.つまりそこには,どんなリスクも正直さも,あるいはどこか未知の局面といったものをもっていませんから.すべてが仕組まれ,予定され,戦略化されている.われわれの理性を働かせれば,そんなことなら朝飯前にやってしまえるんですよ.
アートの作品をめぐる今日の批評的言説や論議は,まさにここから出てきています.でも,あなたは,意識的なものと無意識的なものとを,いずれも発達させなければならない――アーティストとしても見る側の者としても,自分自身を開け広げるためにね.異なる表面,つまり水面上と水面下とを意識していなければなりません.そして,たいてい意識的な精神というものは,あざむきやすいからご用心,ということ.

LW──今日の社会において,アートは何か機能をもっていると思われますか?

BV――ええ.これら二つの世界を結びつけることこそ,まさにその機能にほかなりません.アーナンダ・クーマラスワーミがわれわれに思い出させてくれたのは,「あらゆる芸術的な営みはもともと儀式だったのであり,儀式の目的は古いものを犠牲にして,新しい,より完全な人間を招来させることだ」ということです.アートは常に癒しの力をもってきましました.そして今日もアートがもっているのは,やはり同じ癒しの機能なのです.

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