時間の速度を緩めると空間も広がる

指針

LW──あなたは,「社会における個人の居場所が,さしあたっていま,肝心要の問題だ.自室のプライヴァシーを守りながら,インターネットで心と心を通じ合わせることができる.自分の裁量でものごとの混沌とした流れをナヴィゲートすればいい」とおっしゃっています.これについて一言いただけますか.

BV――われわれが過去にもっている指針,個人に生き方を教える指針が混乱している――めちゃくちゃになったのか,あるいはかすんでしまったのか.テクノロジーによって力をつけた個人は,いまや何でもできるし何にでもなれるけれど,現実には,荒海に放り出されたような具合に自由というにすぎない.
それは本当は自由ではないんです.進むべき方向に進んでいないんですからね.だから,いまはじつはとても混乱した時代です.有力な制度も,もはや助けてはくれない.実際,それらを頼りにしても,ロクなことはなさそうですね――時間とお金がかかるだけで,手元にも頭にも何も残らない.私は,多くの人々が無意識のうちにもこのジレンマを悟り,その不安定で落ち着かない作用を日常的に感じていると思いますよ.

ただ単に,新しい制度をつくっても,古いモデルに基づいている限りうまくいかないでしょう.肝心なことは,方向づけする指針がいまや個人の内部から出てこなければならない,ということです.でも,その内なる道を自分なりに見つけるのはいつだって至難のわざですね.だからこそ,そもそも制度や精神修業が必要になってくる.一人わが道を行くのは,その人に,とりわけ若い人に,大変なプレッシャーをかけます.思うに,20世紀になってから,とくに東洋の宗教があらためて見直されるようになった理由の一つはそこにあるのではないでしょうか.そうした宗教の大目的というのは,個人に,神とじかにつながる手段,真理や啓発,認識といったものを手ずから経験する手段を与えることです.個人が力を蓄えること――人にそれを自ら実行する道具を賦与する――というのは,工業化社会に生きている今日,人々の多くにとって,とても魅力的な考えなんですよ.

LW──その変化を,政治的にはどうご覧になりますか?

BV――変化は政治的に言うと,垂直な権力構造から水平な権力構造に動いている.そこでは,個人がそれぞれ自分なりのリアリティをつくる力をもつんです.自分が望むようにインターネット上を泳ぎまわる.大聴衆といった概念はもう死んでしまいました.インターネットは,印刷機以来,情報コントロールの政治学における最も意義ある展開なんです.あなたにしろ私にしろ,誰かが明日,ウェブサイトをたちあげて,サイバースペースでコカコーラやトヨタ,『ニューヨーク・タイムズ』,アメリカ政府,バンク・オブ・アメリカ,あるいはハーヴァード大学と同等の関係になりうるという,こんな事実はまったく前例がありません.

とりわけ,マーケット主導で利益優先のアメリカの風景と多国籍の時代において,それがその現在の形態でどれだけ持続するか,見ものですね.情報の地平は無限ですが,もはや無差別というわけにはいかない.こうしてわれわれが話しているあいだにも変わっている.無限の選択肢なんていうのは神話なんです.とりわけ,利用可能な選択肢にフィルターがかけられる場合にはね.私はペシミスティックになりたくはないけれど,いずれ誰かがフェンスを立てる方法を考えだし,ブルドーザーをもちこんでそれをコン トロールするでしょう――いつだってそうするんですから.

インターネット上の情報はいっぱいあるが,しかしそれらが正しいかどうか確かめることはできません.それはおもしろくもあり,問題をおこしやすくもする.例えば去年の,映画《メン・イン・ブラック》の宣伝キャンペーンの場合を考えてください.スタジオがそのプロジェクトにゴー・サインを出すが早いか,まだワン・カットも撮影されていないのに,公開のまる2年も前に,若い,ウェブ・ヘッド社のマーケット担当重役が雇われて《メン・イン・ブラック》のウェブサイトをたちあげた.あらかじめ観客をつかんでおくというのは,マーケティング・アイディアとして目新しくはありません.けれども,これが,彼らの予想をはるかに上回る効果をあげた.そのウェブサイトは,そのアンダーグラウンドでカルトまがいの仕立てでもって,とてつもない数の支持者を集めたんです.それは,それ自体で独立した存在になった――映画づくりのことなど,一度も触れられなかったんですね.当の映画が封切られるまでに,多くの若い連中は,つまるところ製作されるのは《メン・イン・ブラック》という,このアンダーグラウンド・ウェブ上でのコミック・ストリップ・ストーリーだと思ってしまったんです.いまあるインターネットを,私は個人が権力をもつことだと見ています.それはポジティヴなんですが,また個人の孤立や依存であるとも見られないわけではない.そして孤立させたり依存させたりするのは,支配のための必要条件なんですよ――政治的にも経済的にも,あるいはほかの面でね.

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