時間の速度を緩めると空間も広がる |
献身 LW──あなたは,「伝統的な宗教的コンテクストでのアート制作の問題は,ふつう,最終結果の見栄えよりも,アーティストその人の献身や熟練に関係するところのほうが大きい」と言っておられます.これについてもっと詳しく話していただけますか? BV――そうですね.ものには,そうしたものの直接の感覚上の知覚とは関わりのない,もっと別の質がある,ということ.聖母子像のそばに,もう一つ別の聖母子像があるとしますね.これらの像の一つは強力で神聖なイコンで,もう一つは,そういうパワーをもっていないありふれた絵だとする. 社会のなかのアーティストの今日的な役割というのは,じつはここオランダで,80年戦争後の17世紀,アーティストがもはやカトリックの教会や王侯貴族の庇護を受けなくなったときからはじまった.王侯の庇護や教会との結びつきを失ったあと,アーティストが新しい権力構造,すなわち商人階級のために作品をつくるようになったのは,ヨーロッパの美術史上はじめてのことでした. もちろん,全部が全部,売れたわけではない.「ひもじいアーティスト」が生まれます.アーティストは「タクシー」を運転したり,小さな「モーテル」を経営したり,半端仕事をやりながら,かたわら休みの日に制作する.フェルメールは旅館を営み,週末には二階にあがって絵を描いていた.だから,オランダ人は実際,かなり時代にさきがけていたんですよ! だけど,結局,フェルメールのような人の場合には,まったく同じとは言わないまでも,同じような題材を扱っていた凡百の画家とを分け隔てるところが作品に宿されている.それは,否定しようもないんですね.だからやはり,問題は,作品にパワーを与えるのは何か,ということ.確信はないけれど,わたしはフェルメールがもっと早い時代に生まれていてカトリックのアーティストだったとしても,彼の描く聖母は同じパワーをもっていたと考えたいんですよ. |
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