時間の速度を緩めると空間も広がる

ガネーシャ

LW──1986年のあなたのヴィデオ作品《I Do Not Know What It Is I Am Like》では,マリリン・ザイトリンが示唆しているように,ガネーシャ(英知を授け障害を取り除くヒンズー教の象頭人身の神)のことを指しているのでしょうか? あの品のいい象がやってきてテーブルからカップをとる,という.

BV――いえ,まったく.あのアイディアは,「群盲巨象をなでる」という中央アジアの有名な寓話がもとなんです.ルーミー[ペルシアの詩人・神秘主義者]の『マスナヴィー』では,「暗い部屋の象」として登場しますね.私はあの話が好きなんですよ.つまり,われわれは限界をもっているために一度に一部しか見えない.だから,誰も本当のリアリティがわからない,ということ.ヴィデオのそのシーンでは,男が深夜に働いているあの暗い部屋に象を入れようとしたんです.それはまた,私にとっては,夜更けまで夢中でむずかしい仕事にたった一人でとりくんでいても,自分が一人だけのような気がしない,というときも指し示している.私はいつも,部屋でこの巨大な存在を感じるんです.そこにもう一つの外部意識が存在することに気づくようになる.それから,自分がやっていることもやはり一種の存在だ,と感じはじめる.自分ではよくわからないものに触れる必要があるんです.なぜ作品をつくるかと言えば,それが見えないところに隠されているという,まさにこの不透明さゆえですね.このアイディアに手をのばし,それをひきださなければならない.これがアーティストの仕事なんです.その存在についての私自身の考えを言えば,それは取り除く必要のある障害物――自分とアイディアとのあいだに立ちはだかる障害物だ,ということですね.不活性のマッスじゃない,生きものなんです.

だから,書斎にいる学者というあの長いシークェンスの頂点は,われわれが部屋のなかで壁を背に机に座っている彼を見たあとに来る.それから最後の最後というときに,反対側から撮った,真っ暗な部屋をふりかえって覗いているリヴァース・ショットがあります.明かりがつくと象が見えるんですね.このシーンをずっと見ていた意識点だというわけです.

LW──本当に象がいるんですか?

BV――ええ,もちろん.名前はニタといって,サンディエゴ動物園に飼われています.わたしは1994年に,あの動物園のアーティスト・イン・レジデンスだったんです.訓練された象が何頭もいて,そのうちの一頭を使わせてくれた.びっくり仰天の経験でした.

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