時間の速度を緩めると空間も広がる

精神の源泉

LW──あなたの展開にインパクトを与えたのはどういう精神的な価値だったのでしょうか?

BV――直接的な経験を通じて来るものでなければなりません.なにしろこの情報時代に育ったものだから,このことがわかるのにずいぶんと時間がかかりました.さしあたっていま,すごいのは,私たちが手に入れられる情報量ですよ.何年も瞑想に耽るといった体験を経ないでも,それをやってくれた人の本を読めばいいんですからね.もちろんそれは,直接体験とは同じではありません.だけど,少なくともその趣きならいくぶんかは嗅ぎとれるはずです.そしてこれは,科学や人類学,造船,古代ギリシアと,何についても言えることですね.私はごく幼い頃から人間の生の精神的な側面にいつも関心をよせていたけれど,当初,そういう分野での私の経験のほとんどは,読書を通したものだったことを認めなければなりません.そこでは,情報時代の主な方程式が効かなくなるんです.認識にいくつか形態がありますが,それらのほとんどは伝統的で,自己認識にかかわるものです.つまりそれらは,テクストや記録されたデータとしては,効果的に,また全体的に,伝えようとしても伝えられない.その結果,今日では,人間の経験のこの部分の多くが,事実としてないがしろにされたり矮小化されたりしているわけですね.とは言いながら,何かを悟ることができるというのは確かで,私の場合は,子供の頃から生まれつきこの面に向かう傾向があったものだから,パッと認識と親しみの火花が散り,それが私を前に進めてくれたんです.

そういうわけで,こうして読書をやりながら,その間,大学でもそうだったんだけど,私は瞑想のワークショップに加わりました.昼休みに瞑想をやるグループがあってね――15人ほどが,12時から45分間,一緒に座禅を組む.いまでも,果たしてそれがどんな伝統を表わしていたのか,自分でもはっきりとはわからないんですが,初歩的でナイーヴだったとはいえ,それが私を,「汝の息に集中せよ」とか,「自分の考えから離れてみよ」といった教えの基本に導いてくれたんです.いま思い出せば,それでとても気持ちがすっきりした,とても熱い思いにとらえられていた.私が自分の沈黙の自我と向き合ったのは,そのときが初めてでした.

私は1973年に大学を卒業して,それから4年間,ジャワ島,バリ島,フィジー島,ソロモン群島,そして日本を旅行した.これらの旅が,私にとっては非西欧的な諸文化との,直接的な初体験でした.私が初めて日本に行ったのは1976年.そのとき,アーティストの中谷芙二子さんに紹介されて,最初のヴィデオ・カメラを買ったんです.中谷さんはいまではとても大事な友人です.彼女はソニーとコンタクトをもっていたし,デイヴィッド・テューダーを知っていた.彼女は自分のアートとして「霧の彫刻」をつくっています.お父さんは雪の結晶を研究した有名な科学者でした.彼女に京都や奈良に行くならここがいい,あそこへ行きなさい,と教えてもらって,それまで本で読んでいた神社仏閣や庭園を見てまわったんです.それらは,言ってみれば古式のインスタレーション・アートですね.でも,現代のものより,ずっと奥深い.微妙で,洗練されており,粋で,そこにたたえられた目に見えない深みが,とくに一人で佇んでいると,ひしひしと伝わってくるんですよ.

そのあとでソロモン群島へ行きましたが,そのときの体験は,また日本とは非常に異なったものでした.東京はでっかい近代都市でしょう,どこもかしこもテクノロジーだらけで,いかにも未来という感じ――当時のアメリカのどこよりも現代的だった.ところがソロモン群島では,生活はもっとシンプルだし,テクノロジーといっても基本的なものしかない.生きることがもっと大地につながっています.私はある寒村に行き,とても深いことをじかに学びました.小型機で山並みを越えて人里離れた南部の海岸まで行き,それから薮のなかを6時間歩いて,マクルカという村へ辿り着きました.その辺は波が荒く,風が海岸線を刻んでいるので,「荒天海岸」と呼ばれているんですよ.私がそこへ行ったのは,モロという人に会うためでした.預言的な改革者でありカルト・リーダーである彼は,住民たちをもっと伝統的なライフスタイルに連れ戻そうとしていたんです.

個人的にハッと啓示を与えられた,とても強烈な瞬間を覚えています.お祝いがあったんです.みんな踊っていた.村はすぐ海に面していた.私は浜辺に座り込んで,村人たちは踊ったりパンパイプを吹いたりしていた.二重の輪をつくって踊っているんです.音楽に合わせて,2歩前へ出て1歩下がる,といったようにね.
私は,まるで催眠術にかかったようにじっと見ていたんですが,とうとう泣きだしてしまいました.何がどうなっているのかわかりませんでした.まったく自分をコントロールする力を失っていた.それでも,ほんの短いあいだ,とてもはっきりとしたものが見えてくる瞬間があるんですね.自然とアートとのつながりを深く感じとる瞬間.そこでは,自然は常に強力な瞬間なんです.私はあくまで広い空のもと,大木と打ち寄せる波に囲まれて浜辺に座っており,そして村人たちがゆっくりとした輪を描きながらえんえんと踊っている.それで私は,悟ったんです,ああ,この地でこんな音楽や踊りをつくりだしたのは彼らじゃない――この大地のほうなんだ,と.彼らの動きは,私が目にしたあらゆるものによってつくりだされていた.凝縮物のようにね.で,それがすべて,すんなりと合う.ほかには考えられないような具合にね.闇は光と違いがない――夜も昼も一つ,大きな全体の二つの部分なんです.私はそのとき,自分が美術学校で学んだことは一切が遅れていた,とはっきりと気づいた.われわれはものを,まるで人間が無から生じさせたかのようにしか見ない,とね.われわれはそれらを「私的な表現」と言い,そのつくり手を「個人的な天才」と言う.こうした作品をつくって報われ,有名にもなれる.でも,本当のところはまったく反対――それらはあなただけがもっているものではなく,あなたのさずかりものなんだ.それらがあなたのところへやってくる――あなたの創造性というのはそれらの表現なんですよ.

その瞬間まで,こんなことがありうるとは思いもよらなかった.それが見えたとき,こう思ったんです.村人たちみんなができることと言えば,これしかないんだ,とね.彼らはこういう竹笛を吹かなければならず,輪になって踊らなければならない.木々の形や波の動きと変わらないんだ,と.私は驚き,胸が詰まりました.あのときのことは決して忘れません.それは真の教訓でした,そのときの私にとってなによりも大事だったのは,自分が教授とか本とかの助けを借りないで何か意味深いことを学んだのは初めてだと気づいたことなんです.知識はそこに,自然にこそある,と自覚したのはそのときなんです.それは,誰か権威のある人物や専門家からしか得られないものではない.それはすでにそこにある――潜在的に,潜んでいる.波長さえ合っていれば,アンテナのようにちょっと動かすだけでいい.だから,やらなければならないのは,それに自分を向きあわせることなんですね.

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