時間の速度を緩めると空間も広がる

ナムジュン・パイク

LW──ナムジュン・パイクからはどういう影響を受けられたのでしょうか?

BV――ナムジュン・パイクは,私がこれまで会った人たちのなかで最もおおらかで想像力のある人の一人です.ヴィデオ・アートの賢人,私たちすべてに行く道を教えてくれた人.私は彼のやったことに対して,大変な敬意と感謝,そして賞賛の念をもっています.彼の初期のヴィデオ作品のイメージやプロセスのいくつかが,30年後の今日,どんなにあたりまえに見えることか,そのことこそ,彼の功績とユニークなヴィジョンを計る尺度です.彼はまた,私が会ったなかで最も聡明な人の一人で,彼が昔に書いたものやマニフェストは,私がこれまでに読んだヴィデオというメディアと文化に関する最もすぐれたテキストに数えられます.

私が彼に会ったのは1972年のことでした.彼がシラキュースのエヴァーソン美術館で個展を開いたときですね.デイヴィッド・ロスが彼を招いた.で,もちろん私は,美術館の技術スタッフとして彼の仕事を手伝った.

そこでは《TVガーデン》というインスタレーションをはじめてやりました.すばらしい経験でしたね.やはり彼は,とても心が広くて,とても自由だった.こういう人たちとのつきあいのなかでとくに気がついたことがいくつかありますが,その一つは,みんな,私たちを笑わせてくれるということですね.まわりの人たちが,急にほほえみ,笑っているんですよ.

ナムジュン・パイクの場合は,あけっぴろげなところ,子供っぽい澄明な心ですね.当時,私は,まだ学生だったんですが,彼が美術館の館長に向かって何か言うでしょう,それから私のほうを向いて,何か言う.まったく同じ調子でね.これはまったくすごいことで,ハッとさせられました――それに深い印象を受けました.彼より年上の人で,そうはしないアーティストもいましたから.

ナムジュン・パイクは,若い連中をおおぜい,作品にかかわらせました.若いアーティストたちに,仕事の機会を,とても自由で自己充足できるようなかたちで自分のプロジェクトに貢献する機会を与えたんです.彼は私のかわりにロックフェラー財団に話をつけて,私が最初の奨学金をもらえるように取り計らってくれたんですよ.総額500ドルのね.その頃私の父はパンナム航空に勤めていましたから,父の助けを借りて,私は南太平洋のソロモン群島へ行き,ナムジュン・パイクの《ガダルカナル・レクイエム》の素材を撮ったり,現地の人々の音楽や踊りを録音したりした.ロックフェラー財団にとっては何の意味もないけれど,当時の私にはとても大事なことでした.ときどき,実際に私に,「何かつくれ」といってお金もくれました――信じられないことです.

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