ジェームズ・タレル・インタヴュー: 光に触れる意識 |
光をつかまえる 佐々木――タレルさんの光は柔らかく触れなければ逃げて行ってしまうのでしょうか? タレル── 私の娘が「どうやって光を逃がさないようにしているの?」と尋ねたことがあります.プラトンの洞窟を思い出しました.光を捕まえるための空間をつくるのですが,それは自分自身を見るためのものなのです.目をつくるようなもの,知覚するためのもの.それは容器というよりも,自己を知覚するものです. タレル── ええ.黄道も銀河も動くのでこれは方角をもとにやらねばならないのです.黄道と銀河の光を取り除かないとほんとうに時間を経た古い光を得ることができません.けれども,その光は存在するし,集めることができるのです. 佐々木── 天井の設計で可能になるのですか?
タレル――開口部の在り方によってです.金星の光のためだけの部屋もあります.金星が逆行するときに光が落ちてきます.星はいつも東から登り,西に沈むように私たちの軌道からは見えますが,それがときどき逆の方向に動くのです.それを逆行(retrograde motion)と呼んでいます. 佐々木── 光の年齢を選べるとして,光を満たす媒質についてはどうですか? タレル── たくさんの人は私たちが空気の中で生きていると考えているようですが,私は光の中に生きていると思っています.もちろん空気を呼吸しているのですが,光をビタミンBとして吸収もしているのです.光という媒質の中で生きていると言ってもいいのではないでしょうか? 佐々木── 日本の大気の中に充満している光でタレルさんの行動が変わったりするのですか? タレル── もちろん全然違います.そして人々も違います.前に言ったようにたくさんの人は光について気づかなかったり,考えなかったりします.しかし,だからといってそれに影響されていないわけではないのです.私の個人的見解ですが,私にとっては,一部のヨーロッパの人よりも,日本人,韓国人,台湾人に対してのほうがエントリーをつくることが易しく感じられます.もちろんアイスランドとノルウェーの人たちは光と素晴らしい関わり方をしています.西洋美術においては,光を使ったアーティストのほとんどすべては北方の作家です.もちろんちょっとお金ができて,ちょっと有名になれば,南仏に行きましたけれどもね.フェルメール,レンブラント,光を描いた作家で南仏出身はいませんよ. 佐々木── 光がアーティストをつくったと? タレル── そうですね.そう言えるとも思います.そうした文化の中では光の良さが認められています.日本の文化は審美的ですね.ここでは人々は抑圧されていると感じていることも知っていますが,私はそう思いません.感覚的,審美的なことは日本の文化に深く関わっていると思いました.料理法,茶道,その他のさまざまなことがそう感じさせます.もちろん,セクシーというのはあてはまらないかもしれませんが,審美的,感覚的という言葉はじつにぴったりだと思います. 佐々木──水戸での作品《ゾーナ・ロッサ》を見たときに僕はあの中に蝶を飛ばしたいと思ったのですが.僕はあの部屋の中で赤い光に近づいたり遠ざかったりしてしまった.そしてその後にしばらく動けなくなった.蝶や犬でも同じようなことをするのかな,と思って. タレル── ずいぶん長いこと飛行機の格納庫で作品をつくっていたのですが,夜になるとよく窓を開けたものです.鳥が飛び込んできて面白かったですよ.ある夜フクロウがやってきて,ずっと止まっているんです.私はじゃまにならないようにじっと動かずにいました.フクロウも動きませんでした.私はうとうとしてきて横になり,目が覚めたときにはいませんでした.作品はそのままでした. |
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