Dialogue/[対談]ロジャー・ペンローズ+佐藤文隆

重力に着目する

佐藤――もう一つ,私たちの多くが驚かされたポイントは,通常,量子力学は一般相対性理論と直接的に関係してはいないが,ペンローズさんは,根源的なかたちにおいて,重力ないし時空の特性が,量子力学にとって重要であると考えておられる,という点です.

ペンローズ――あるレヴェルにおいては,量子力学と相対論は密接に結びついています.相対論に量子力学の考え方を使う局面――少なくとも私には,それがきわめて有効なことがわかった局面――は,確かにある.要するに,時計を対象にする場合です.相対論は基本的に時間を扱うものであり,時計を使って基本的な時間を決定する規準であるわけです.世界線の長さは世界線にそって計測される時間です.そこで,良い時計がほしいと思えば,量子力学に目を向ければいい.量子力学は基本的に質量と周波数の関係性ですからね.これは時計の特性そのものです.最も正確な時計とは,根源的に量子力学的対象なのです.このように考えると,当然,量子力学と一般相対性理論は結びついていると言えるでしょう.時間を正確に計る物差しがなければ,時空の何たるかについて明確な思考をめぐらせることはできません.

佐藤――その場合は確かにそうですね.時空の問題と量子力学の関係性は,ブラックホールやビッグバンといった極限的な問題を考えるときにのみ意味をもつと考えている人は大勢います.でも,ペンローズさんは,ブラックホールやビッグバンといった状況に限らなくても,ごく通常のプロセスの問題においても時空の問題が重要だと言っておられると思うんですね.そこがユニークなポイントだと思います.

ペンローズ――確かに,私の記憶にある限り,他の人がこんなことを言ったのは聞いたことがありませんね.根源的に重要なのは状態収縮なんです.極小世界と極大世界が関わりあうのは,すべて状態収縮を介してです.これ以外のかたちでは,原子や分子,等々といったもの,量子力学的実体のあいだに呼応関係はまったく見出せない.それなのに,これらは互いに結びつき,古典的実体を生み出している.要するに,ここにはパラドクスがあるということです.少なくともそのように見えるわけです.

ニールス・ボーアは,ある時点であきらめてこう言った.この世には古典的世界と量子力学的世界がある.われわれがもっている計測装置はおそらく古典的なものだろうが,自然には一方に量子力学的な構成要素があって,もう一方には古典的なかたちで振る舞うものがある.なぜそうなのかを説明することはできない.つまり,この一方ともう一方をつなぐ橋が重要なのです.世界が機能する,そのあり方において根源的に重要な部分と言っていいでしょう.そして,状態収縮――これを私は,この世界で実際に起こっている最も根源的な事象と考えています――が生起する可能性のいちばん高いのは,重力の領域です.こうした問題について考えている人々のあいだで,また,量子力学の法則は,どこかのレヴェルで修正されることになるかもしれない,と心配している人たちのあいだでも――まあ,この人たちのほとんどは重力のスキームを使ってはいないのだけれど――この観点に同調する向きは大いに見られるようになるでしょう.こうした人たちは,たとえいまは重力のスキームを使っていなくても,十分な思考を重ねることによって,どこかのレヴェルで,それぞれのアイディアを重力と関連づけるにいたるはずです.

きょうの講演で,ジョン・ベルについて触れましたが,彼はこうした考えをもっている人物です.特に重力に関する考え方を使っているというわけではありませんが,何か異質なことを探求するには,重力が最も可能性のある領域だという感触をもっているのは確かだ,と私は思っています.重力に着目する理由は他にもあって,その一つは,重力は時空構造に直接的な影響を及ぼす唯一の場であるということです.非直接的に,エネルギーやモメンタムを介して影響を及ぼすものは多々ありますが,重力のモードはこれらと異なっていて,時空構造に直接的に影響を及ぼす.このように,重力にはきわめて異質なものがある.したがって,量子力学が重力の問題に関わるとき,その法則もまたきわめて異質なものになるであろうと考えることは,大いに理にかなっていると思えます.

佐藤――私も含めておおかたの物理学者は,何か不思議な感じを抱いているんですね.通常の原子の時空に対する重力の効果は取るに足らない,無視してもよい程度のものだとすれば,時空は定常的で,原子によって撹乱されることはないと見なすことができる.時空というのはそれで十分で何ら問題は生じない.しかし,ペンローズさんはそうは考えておられないわけです.

ペンローズ――いや,それで十分ですよ.私の観点でも十分です.状態収縮を考えない場合はね.量子力学は見事に機能するように見える.しかし,これもシュレーディンガーの方程式が,必要なすべてを記述してくれると見なす気さえあれば,という条件つきです.だが,現実にはあるレヴェルでは,シュレーディンガーの方程式は使えない.何か別の方法を使う必要がある.だからこそ私は,ある記述から別の記述に移行するのは,重力の効果というものを実際にもち込まねばならないときだと言っているわけです.みんな,その効果は非常に小さいと考えている.あなたの言うとおりです.さらに,みんながどうしてそんなふうに考えるかという理由も私にはわかります.要するに,誰しも重力を他のものを考える場合と同じように考えているからです.重力はただの「力」である,その力は非常に弱い,そんな弱い力がどうして影響を及ぼしたりするだろうか,とね.しかし,私は当然,別の観点からこの問題を考えているわけであって…….

佐藤――古典的には影響力はきわめて小さい,だが,われわれは時空の量子的挙動を知らない.

ペンローズ――そのとおり.われわれは従来と同じように考えている.量子力学の根底的な観点からではなく,量子力学をどうすれば別の力に応用できるか,量子は時空によってどう影響を受けるのか,ということだけ考えている.というのも,量子力学を使う,まさにそのかたちが,時間的移行とは何か,空間的分布とは何かを知ることにだけ関わっているからです.そこで重力場を考える場合も,量子力学に関わる小さな問題に踏み込みはじめる.そして重力場を次第に大きくしていくと,重力場もある一定の役割を果たしてくる…….

私は,こうした方法とは異なったアスペクトから考察しています.これまで,量子力学と重力の組み合わせについて人々が考察してきたかたちには二つの対象が含まれています.一つは,宇宙論とビッグバン,多分,ビッグクランチも入るでしょう.そして,もう一つが特異点とブラックホールです.量子力学と一般相対性理論の結びつきを考えざるをえないとき,まずこの二種類の対象が必ず出てくる.

佐藤――それにはおおかたの人が同意すると思いますよ.

ペンローズ――これは重要なことです.しかし,この研究から学ぶべき重要なことをおおかたの人は見逃している.きょう私が講演で言おうとしたのは,ここには巨大な謎が存在しているということです.それは始まりの時空と終わりの時空の大きな違いです.特異点構造における時間の非対称性,これは大変なものです.重力が,量子力学を単に適用するだけのいま一つの物理的場であるのなら,どうして時間におけるはなはだしい非対称性が生じるのか? そのようなことは,他には一切ありません.そこで私はこう考えるわけです.これは,これまで他の物理学理論で見出されてきたのとは完全に異なる組み合わせでなければならない.みんなが,それはたいしたことではないと考えるのは,間違った方向から問題を捉えているからです.これは量子力学に対する重力の効果であって,重力に対する量子力学の効果ではないのです.量子力学と重力の結びつきの重要性が浮上すると予測されるいま一つの領域は,場の発散(divergencies)です.これを避けるのには,ひも理論のようにごく小さい距離間で場を区別することが必要になるはずです.これは多分間違いないところでしょう.

しかし私としては,ここでもう一つ,さほど秘儀的でもない別の領域,日常的に生起している事象がある,ということを指摘したいと思います.生物を考えてみてください.生物は物理学の実験の場です.生物を物理的なものとして了解する場合には,状態収縮を考慮しないわけにいきません.状態収縮を考慮に入れなければ,数学のほんの小さな断片としてのみ了解できるにすぎません.シュレーディンガーの方程式は進化してきましたが,結果,通常では考えがたい状況をわれわれに突きつけることになってしまいました.猫が生きていると同時に死んでいる,といった…….

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