Dialogue/[対談]ロジャー・ペンローズ+佐藤文隆

ツールや素材は重要ではない

佐藤――一昨日,裏千家の今日庵でお茶をいただいたとき,たしかペンローズさんは別のグループにいたと思いますが,私たちのグループでは,茶室の名前をめぐる質疑応答があったんです.600年前に創設者が記したその名前は「捨筌」というもので,「筌」は魚を取る網のようなもの,「捨」は「捨てる」という意味です.これは荘子に由来する言葉で,全体の意味は「人間は生きるために魚を獲らなければならないが,魚を獲ったあとは網を捨てなければならない」というものです.

ペンローズ――網を捨ててしまう?

佐藤――一回ごとに捨ててしまえというんです.ここには,もっと抽象的な内容が込められています.網に当たるものは言葉です.われわれはコミュニケーションのために言葉を必要としますが,重要なのはコミュニケーションである.「網を捨てよ」というのは「言葉を捨てよ」,つまり,言葉は必要なものではあるけれど,それを過大なものにしてはいけないということです.

ペンローズ――私たちが「ハシゴは蹴飛ばしてしまえ」というのと似てますね.目的の場所に登ってしまったら,もうハシゴはいらない.ハシゴは事をなすための手段だが,いったん事をなしてしまったら,もう何もいらない.

佐藤――だから,ツールをためこみすぎてはいけない!

ペンローズ――そのとおり!

佐藤――できるだけシンプルであらねばならない.

ペンローズ――ミニマリストとしては…….

佐藤――言葉も最小化すること!

ペンローズ――重要なのは観念であって,それを表現する手段,形ではないということですね.数学ではもちろんそれは真です.よく,数学は一つの言語であるというふうに言われますが,私自身はそうは思わない.確かにいくつかの記号は使うし,特定のかたちでの操作も行なう.でも,それは本質的なことではない.厳密にそれをどう書くかということは,まったく重要なことではない.重要なのは,基底にある概念です.要するにあなたは,あらゆるものの基盤に存在するものを抽出されたわけだ.この中国古典の言葉と数学は近いところがあるように思えます.

佐藤――とても近いものです.さらに,お茶の儀式の文化は,一つの生のあり方――より良いものはシンプルであるというかたち――を目指してもいます.ツールを大量に積みあげるというのではなく…….

ペンローズ――「松葉杖」という言葉が適切かもしれません.松葉杖が必要なあいだは,杖にすがって歩かなくてはならないが,いったん不要になったら…….そういうことですね.

佐藤――言ってみれば,代数というのは魚を獲る道具です.何かを発見する際に必要なものだが,いったん重要なことが発見されてしまったあとは,捨ててしまっていい.日本の文化を作ってきた人たちは,こうした単純さを高く評価しています.その考えは庭にも建物にも現われている.単純なものこそ美し い,と.

ペンローズ――そのとおりですね,必要最小限だと言えるまで縮小すること.そこでちょっと気になるのは,私の家は,いたるところにガラクタが山をなしていて,絶対に必要というわけでもない所持品があふれかえっている.妻にいつも言われるんです,捨ててしまいなさいと.でも,なかなかそれは難しいことで……(笑).

佐藤――女性のほうが単純さの意味をよりよく理解し実践している(笑).

ペンローズ――でも,妻はこと衣類にかけては私よりずっとたくさんもっていますからね.その意味では似たようなものです(笑).

佐藤――仏教でも同じことが言えます.仏教は中国から輸入されたものです.日本固有のものではない.ですから仏教が渡来した最初期には,建物も中国のものを完全に真似て,柱も壁もすべて鮮やかな朱に塗られました.いまでも中国に行くと,真っ赤に塗られて輝くばかりに見える建物を見ることができます.初期には日本でも仏教寺院はそんなふうに塗られていたわけですが,まもなく日本の人々はもっとシンプルなものを好むようになりました.そこで,色を塗るのをやめて,われわれが今日目にしている,何も塗らない白木の造りになったのです.

ペンローズ――銀閣寺は,当初,銀で造られたわけですか?

佐藤――ええ.最初は銀で覆ったわけですが,剥がれ落ちてしまった.そのときには,再度銀で覆うだけの余裕がなかったし,このほうがずっと美しいと言いはじめたのでしょう.単純な木の壁面,これはどの寺でも同じです.

ペンローズ――神道と仏教はどのような関係にあるのですか?

佐藤――神道は仏教よりもずっと古くて,建物に色を塗るといった伝統はまったくありません.神道の神社で興味深いのは,常に新しくすることを尊ぶという点です.50年か100年ごとに完全に建て替えてしまうんですよ.

ペンローズ――一度,壊してしまって?

佐藤――そして,同じ形で再建する.したがって,ここでは形態ないし建造すること自体が重要なんです.木が同じである必要はまったくない.何千年ものあいだ,そうやってきたわけです.

ペンローズ――しかし,概 念は保たれる,と.

佐藤――ええ,完全に保たれます.素材は重要ではない.

ペンローズ――量子力学とまったく同じじゃありませんか(笑).
この電子もあの電子もまったく同一である,どれがどれかということは重要ではない.重要なのは構造である.

佐藤――物質の同一性というものはない.

ペンローズ――確かに.だから,あれほどモダンに見えるんでしょうかね.

佐藤――そうですね.数学の群論のように.伊勢神宮にしても出雲大社にしても,常に新しく見えるんです.しかも,そうした神社の周辺には,次に建て替えるときのための樹が常に植えられているんですね.神社の周辺に育った樹で大きく育ったものが切られ,新しい神社に使われる.

ペンローズ――わざわざそのために樹を植えている?

佐藤――そうです.常に神社の周辺で樹木の循環が行なわれていて,自足している.

ペンローズ――しかし,仏教のお寺は同じ建物のままですね.つまり,時として素材と同じ年代を経ている.だが,神道の神社は常に新しい.

佐藤――さらに日本には,神社にしろ宮廷にしろ,石を使うという伝統はありません.木だけです.ですから,遺跡はあっても物そのものはまったく残っていないんです.建物自体,素材自体を保存することに熱心ではなかったんですね.でも,常に同じ構造物で置き換える.

ペンローズ――木の老朽化に関係があるのかな.それとも,純然たる観 念なんでしょうか.

佐藤――技術的な面も関係していると思いますけれどね.木の建造物というのは千年以上維持するのは大変難しいことです.だから,もっと頻繁に建て替えたほうがいい,そんなふうに考えたんじゃないんでしょうか.

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