特集:テレプレゼンス――時間と空間を超えるテクノロジー/廣瀬通孝+港千尋

人間に向かってくる技術

廣瀬――先に申し上げたGPSも以前は,1000万円ぐらいしたんです.それがいまでは数万円です.さきほど体験いただいたCABINは,まだ研究レヴェルの技術で非常に高価なのですが,いつか値段が下がって,ある日突然,茶の間に出現するのではないかという気がします.そういうことは非常によく起こるのですね(笑).音声認識のプログラムなども,ちょっと前までは全然モノにならないんじゃないかと思っていたら,最近では2万円くらいで買えるようになっています.
どんどん安くなって小型になっていきますと,携帯化,モバイル化という話が出てきます.この場合,人間の体のほうが動きますから,いわばテレプレゼンスの逆になります.体が動いて,情報世界がくっついて歩くわけです.コンピュータがどんどん小さくなって人間の身体に非常に近づいたときに,いろいろ新しい問題が生じてくると思います.例えば,HMDの視覚パラメータをどう調整するか,データ・グローヴのサイズをどうするかなどです.個人差をどうするかの問題です.

――近似値をどう扱うかという問題ですね…….

廣瀬――はい.コンピュータがどんどん小さくなって,メガネのような個人個人にあわせた存在になるわけです.本当の意味で個人用になるんだと思います.実際,ウェアラブル・コンピュータなど,その予兆はすでに現われています.  もう一つ技術的な面でおもしろいのは,行動範囲が広域になると,現在のVR技術は使えません.CABINの場合でも,センサーが管理可能なのは2.5メートルの範囲内でしかありません.東京,大阪という規模になると,GPSが使えますが,その中間のレンジをもつセンサーがないのです.ですから例えば建物の中を歩くとか,ある大学のキャンパスを歩き回るなどといったアプリケーションを開発するために,やるべきことはまだまだたくさんあるわけです.

――まだ非常に高価ですが,地上800キロメートルの衛星から人間の掌が読めるという超高精細カメラの技術が,近い将来は例えば美術館で使えるような画像記録装置として民生用になってくると思います.より精密化する現実ですね.  僕は,現実は主に三つくらいに分けられるのではないかと思っています.一つは,拡張する現実です.科学全般がそうですが,掘れば掘るほど生命の歴史もどんどん古くなる.考古学のような学問がその典型です.存在しなかったものが見つかるわけですから,これはまさしく増大する現実だと思うんですね.二番目は細かくなる現実というか,ミクロの現実です.三番目は,相反する現実と言うか,矛盾する現実と言うか,未来に関してどちらに進むかわからない現実が出てくるような気がするんです.

廣瀬――それは,シミュレーションという意味においてですか?

――そうですね.いままで,まさしくシミュレーションでしかなかったシミュレーションそのものを一つの現実として考えなければならなくなるような事態…….現実はそこまでもう拡大しているんではないかという気がしています.

廣瀬――われわれVRの分野でも,多くの場合シミュレーションの在りようとしてVRをとらえています.昔の言い方で言うと,シミュレーションというのは現実の模倣なんですね.しかし,現実の模倣が,現実を超えてしまう場合があるわけです.最近,建築家の方々が街づくりにシミュレーションを手法として使いはじめました.サイバースペースの中でこういう空間をつくってみたらどうだというような議論をするようになったんです.もちろんそれはシミュレーションなんですが,いろいろ議論しているうちに,少なくとも,その街は意識の中で実在するようになります.おもしろいのはこの先です.もしかすると,そのうちにインターネットなりなんなりで出店予定の店がホームページを開いたりするかもしれない.通信販売が始まる……街として機能しはじめるんです.そして最終的に知らないうちに実際のハードウェアの街ができあがるなんてことがあるかもしれません.それはシミュレーションを超えたシミュレーションなんですね.

――多分,シミュレーションという考え方のもとにあるのは,分身とか影とかイメージからきていると思います.イメージというものが西洋でどうとらえられるかというと,実体の二次的な存在,つまり自分の影なんですね.副次的な存在だから格が一つ下になるわけです.まず現実が確実にあって,しかるのちにイメージがある.あるいは一つの都市をつくるために,まずいくつもの影を投影してみましょうというのが,伝統的な考え方ですが,それが,変わっているということですね.

廣瀬――それは現実空間が仮想現実化しているということでしょう.都市空間というと,昔は,建築とかいわゆる土建的なものだけでした.ところが,コンピュータやネットワークが入ってくると,都市空間自身がある種のモノではなくてコトになりはじめた.そうすると,もうシミュレーションだろうが何だろうが同じだということになってしまう.そういう意味においては,ベータ・ヴァージョンからどんどん現実のものをいじくりはじめているわけで,最後にリアルな部分だけがさっとくっついてくる.

――だから,どちらがネクストかわからなくなる.もしかして,リアルのほうはネクストとして,最後に一応くっつけようという感じかもしれません(笑).

廣瀬――シミュレーションが格下だとしても,そこにしかない事実的な意味での現実をそこに認めてしまうならば,それはそれでもいいのではないかという話が,全然別の次元として出てきます.そこは文化的に論じていかないといけない話だし,基本的には人間が何を見てるかということですよね.もしかしたら,いまの子供たちは,われわれほどリアリティのことは気にしていないかもしれません.そうでなければテレビ・ゲームの粗い映像にあれほどのめりこめるわけがない.しかし,われわれは悲しいかな,テレビで育っていますからね.やはりもう少しリアルな映像がほしいわけです.その点が世代によって異なってくるわけです.

――そうですね.リアリティもテレプレゼンスも最終的には想像力の問題に行き着くのだと思います.
きょうはどうもありがとうございました.

[1998年4月8日,東京大学]

ひろせ・みちたか
1945年生まれ.システム工学,ヒューマン・インターフェイス.東京大学工学部助教授.著書=『バーチャル・リアリティって何だろう』(ダイヤモンド社),『電脳都市の誕生』『技術はどこまで人間に近づくか』(以上PHP研究所),『バーチャル・リアリティ』(産業図書)など.

みなと・ちひろ
1960年生まれ.写真家,評論家.多摩美術大学助教授.著書=『映像論』(日本放送出版協会),『写真という出来事』(フォトプラネット),『記憶――「創造」と「想起」の力』(講談社),『注視者の日記』(みすず書房),『群衆論』(リブロポート)など.

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