特集:テレプレゼンス――時間と空間を超えるテクノロジー/廣瀬通孝+港千尋
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仮想現実と現実のあいだ 港――テレプレゼンスに話を戻すと,この場合のプレゼンスという概念は,ここにいながら,よそにあたかもいられることですね.ですから,必ずしも,VRだけから始まったわけではなくて,電話でも同じだと思うんです.こちらとあちらが何らかによって結ばれてできてくるものですから,想像力を働かせれば,例えば仙人や幽体離脱などの話になってくる.そのときに僕がおもしろいと思うのは,どの場合も必ず最初の場所に戻ってくるということです.行ったきり戻ってこないという話はないですね.例えば,シャーマンの場合,太鼓を叩きながら忘我の境地に陥って,それで失神状態にまでいく.シャーマンの身体はここにいるんだけれど魂がどこかに行ってしまう.でも最後はまた元の身体に戻ってくる.ボーダーレスと言いますか,行ったら戻ってくるわけで,そこがおもしろい現象だと思うんです.
廣瀬――VRの場合でも,何が現実かわからなくなるという話がよくあるんですが,少なくとも確実なのは,体験している自分は現実だということです.再び自分に戻ってくるのは,何かによって合成された非現実空間に,行ったきりになるほどの魅力がないからではないでしょうか.多分,人工物と自然物とのあいだには,やはり何か本質的な違いがあると思うのです.
港――さきほどCABINの中でVRを体験したとき,僕が描いている世界と,僕自身との,うまく言語化できないような関係が体験できたような気がしました.特に,自分の手が箱の向こう側に見えるというのは何か不思議な体験でした.手ということで言えば,おもしろい話を聞いたことがあります. 廣瀬――VRは,その辺の合成をコンピュータがやるんです.それが失敗すると,俺の手はここにあるはずなのにどうしてあっちにあるんだということになる.自分の体の再構成が行なわれているんです. 港――そこでいったん,身体性やリアリティを解体してしまうのでしょうね. 廣瀬――もし,現実とずれていると,もう一回,赤ん坊のときにやったことを学習し直さないといけなくなりますね. 港――いわゆる身体イメージという言葉がありますが,僕らが常にもっている自分の身体イメージがVRでバラバラになったら……(笑). 廣瀬――意図的にバラバラにする場合と意図しないのにバラバラになる場合とがあるんです.芸術家の方たちは,もちろん前者の立場ですよね.あえてバラバラにすることによって,自分には身体があって,その身体イメージを無意識に使っているということをあらためて実感させるわけです.後者はわれわれがプログラムしている途中で何度も体験します.けっこうおもしろい体験も多いんですが. ところで,冒頭のリアリティの話題に戻りますが,同じような質問をある哲学者にぶつけたら怒られました(笑).「リアリティとは何かというのはそもそも哲学者がずっと昔から議論してきたことであって,あまり簡単に答えが出せるようでは困る」と(笑).その大問題がいともたやすくテクノロジーによって揺すぶられ,変な反証が容易に出てくるわけです.ある哲学者が「触れるものが現実だ」と言ったら,「では触覚ディスプレイの場合は現実と言えるのか?」とか …….そういう意味では,VRはウザったい存在のようです(笑). 港――いや,いいことだと思います(笑).少なくとも前提に疑問を突きつける技術であるとは思います.
廣瀬――だから,逆の言い方をすれば,いまこそ哲学の出番だと思うんです.ずっと昔は,地球が丸いかどうかなんて,えらい学者が問題にすることはあっても,われわれ一般大衆とは関係の薄いことでした. 港――テレプレゼンスというのは時差をなくしてしまう.あるいは移動をしなくてもいいということですね. 廣瀬――移動に代わる手段というわけです.それだけに直観を裏切るような身体感覚が生まれてくるわけですが…….テレプレゼンスが移動を代替するものなのか,あるいはテレプレゼンスと移動が並列しているのか……. 港――地球レヴェルから神経レヴェルまで僕らの認識すべてに関わることについて,もう一度現実や存在をリセットしなければならないところまできてしまったと思います.おもしろいチャレンジングな時代ですね. |
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