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特集・サイバーアジア

ヴォン・ファオファニット
アイデンティティとしての言語・米


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《ネオン・ライス・フィールド》(1993)
テイト・ギャラリー「ターナー賞1993」展より
Photo=Tate Gallery Photography Department
Courtesy the Artist

 ヴォン・ファオファニットは,1985年からイギリスを拠点に作品を制作している.インスタレーション,スカルプチュア,ネオン・アートなどのあらゆる仕事を屋外,室内に限らずにこなしていく.それぞれの作品によって,マテリアルや制作過程がいかようにも変動するという意味では,マルチメディアな作家といえるかもしれない.

 ファオファニットには,ネオンを使った作品が多く見られる.そのなかでも,ネオンと米を使ったインスタレーション作品が美しい.《ネオン・ライス・フィールド》と題されたこの作品は,床一面を米で覆い尽くし,そのなかに埋め込まれた赤いネオン・チューブがうっすらと内側で輝くもの.チューブの部分が山並みを描き,白銀のように光沢をもった米の表面に反射して神々しい明かりを灯している.この作品は,後にテイト・ギャラリー主催のターナー賞の候補となり,作家の代表作となった.候補作は,山並みの溝にネオンが埋まっている.環境によって作品が変容するのはつねだ.

 ここで米が使われているのは明らかに,米を主食とし,それを供物として神に捧げてきた人々を対象にした文化的背景によるものである.これによって,米文化圏にまたがる共通言語の存在をわれわれに提示している.それは,作家のアイデンティティを追求する姿勢が,米という象徴的オブジェに向かわせたといえるだろう.ある意味で,西欧のなかで作家は孤立し,自らの所在を求めて放浪している.だから,つねに作家は自らのアイデンティティを刻印する手段を模索する.

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《無題》(1995)
ラオス語のレタリングが入った
蛍光レッドと蛍光グリーンの6本のネオン管
Courtesy Stephen Friedman Gallery

image 《無題》(1995−96)
塗装した金具,ひも,工業用ゴム
Courtesy Stephen Friedman Gallery



 ファオファニットが最も顕著にアイデンティティの模索をかたちにしているものにラオス語を使った作品が挙げられる.彼は,以前からネオンによってラオス語を表記する作品を多く手がけている.このネオンによって描かれた言葉のカリグラフィは,スタイリッシュな抽象的形象をなして言語的意味は喪失していく.ヨーロッパの中でラオス語が理解される言語としては,稀であることをファオファニットは充分に分かっていることであろうが,それでも敢えて母国語を使うのは,作家にとってその必要があるためだ.それは,母国語に含まれる個人の文化的環境を直接的に作品に刻んでいく作業だからである.表記された言語から,実質的な意味を読みとるのではなく,その背景に存在する作家の行為を汲みとることを望んでいるのである.

 1961年,その当時はまだフランスの植民地であったラオスに,ファオファニットは生まれた.その後,11歳でフランスに移住し,教育はヨーロッパで受けている.1975年の革命,ラオス人民民主共和国樹立を体験していない.彼は,73年から93年まで,家族とまったく別離した状態で生活してきた.

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《無題》(1995−96)
ラオス語のレタリングが入った透明レッドのネオン管,
ワックス,ガラス,塗装した金具
Courtesy Stephen Friedman Gallery

 この作家にとって,祖国はアイデンティティにほかならない.外国で育ち,西欧社会で教育を受け,自国の文化すら忘れてしまいがちな日常を過ごすなかで,自らの原点を探ることは,独自のアイデンティティを確立させるためであり,近代のなかのアジアを探ることでもある.この作家のなかで捉えられる故郷は,けっしてセンチメンタルなものではない.むしろ探求すべき対象として,中枢に鎮座しているように思う.

(かとう えみこ・美術批評)

image 「ターナー賞1993」展(テイト・ギャラリー)にて
  Photo=Tate Gallery Photography Department
Courtesy the Artist

■ヴォン・ファオファニット
1961年ラオス生まれ.イギリスのエクセターに在住.イギリス西部大学,チェルシー美術大学などの常勤講師.1993年にロンドンのテイト・ギャラリーのターナー賞候補作家となり,1996年にはロンドンのステファン・フリードマン・ギャラリーで個展を開くなど精力的に活動している.



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