InterCommunication No.15 1996 |
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Monograph |
気象学者のローレンツは,蝶の羽ばたきによるわずかな風が,数カ月後の,たとえばハリケーンの進路に影響を与えるかもしれない,と考えた.カオス研究でよく言われる〈バタフライ効果〉の問題,つまり,カオスの初期値に対する鋭敏な依存性の問題である.もし,気象の変動がカオス的である(この判断を確定的にするには,きわめて原理的な困難を伴う)ならば,気象の長期予想は,きわめて微細な要素までを初期値に組み込んでやらなければ,正確になしえないことになるだろう. このことを,再び,先ほどの方程式を使って確かめてみよう.また,MathematicaのNest関数を利用する.a=4のとき,初期値0.1として,500回再代入した値は, Nest[f, 0.1, 500] → 0.6159374302012487863 である.ここで,初期値を0.1001として,再び調べてみると, Nest[f, 0.1001, 500] → 0.2284438870580181454 という結果になる.これは,何を意味しているのだろうか.単に数字だけから見ても,1000分の1の初期値の誤差が,6159と2284という大きな差を産んでいる.この方程式は,前にも述べたように,なんらオカルト的な要素を含んではいない.すべてが機械論的に決定されている.先ほどイメージしたような電子バッタの生息数の推移のように,もしこの方程式で表現されるなんらかの現象があった場合には,初期値の誤差が1000分の1あっても,500回繰り返した後の現象には,大きな差が生じてしまい,予測不可能であることになってしまう. しかし,カオス現象は,さらに驚くべきことを告げる.ちなみに,誤差を100兆分の1に取ったとしてみよう.つまり,初期値を0.1000000000000001として,標準より,100兆分の1だけずらしてやると, Nest[f, 0.10000000000001, 500] → 0.7900565296450452002 となってしまう.50億分の1の誤差で,地球上の人間の数を一人数え間違えたという誤差である.ましてや100兆分の1の誤差ということ自体われわれには想像できない.地球上の人間の一人をも数え損ねない精度でさえ,ほとんど現実不可能な精度である. 電子バッタの例として解釈するならば,最大数が1000兆匹の場合,初期値の100兆と100兆1匹の差が,500年後,615兆と790兆という結果の差を産んでしまうわけである. つまり,ある式において,初期値が0.1で,それを500回繰り返した値が,0.6159……であることが分かっていても,初期値が0.1にほとんど近いからといって,結果がやはり0.6159に近いものになることはまったく保証されていないことになる. 繰り返すが,これは,なんら不確定要素やノイズを含まない純粋な数学の式のうちで起こっていることである.電子バッタの例は,数式をいきいきと表象するための補助手段にすぎない[★9].
さて以上のように,決定論的カオスについて,その研究の一端を見てきた.この研究が含意する視点はさまざまなものがあると考えられる.冒頭で述べたように,私にとっては,必然と偶然との弁証法的構造,あるいは,〈反復〉の哲学的意味,といったものが,決定論的カオスのきわめて核心的な点だと考えている.
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