InterCommunication No.14 1995

InterCity TOKYO

「光あれ」
ボブ・オケインとのおっかなびっくり対談


フォルカー・グラスムック
栩木玲子 訳


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バックグラウンド
テライン
アリーナ

 私は考える.すると光があらわれる.いろいろなことを考える.光が弱まり,目の前のものたちの動きがゆるやかになり,ついには静止する.精神が物質を支配する.これは夢? それとも魔法? 突如として自分は思考だけで世界を形づくる神になり変わったのか? それともユーザーの力を人間以上に増幅させるボディスーツのロボットにでもなったのか? そのどちらでもない.と同時に,ある意味ではどちらでもある.これはアートなのだ.東京のP3 art and environmentで,ドイツに本拠地を置くウルリーケ・ガブリエルとボブ・オケインのスタジオ「アザースペース(OTHERSPACE)」のインスタレーションが二つ展示された.そのうちの一つが《テライン(Terrain)》である.

バックグラウンド
 マルチメディアは本質的に境界を横断し,多様な才能を呼び寄せる.ボブ・オケインはバッファロー大学で電子工学を学びながら,学内の有線テレビ局で働き始めた.そこで彼の才能がとある教授の目に止まり,その教授の紹介で彼は人文学部メディア研究学科に転部する.カリキュラムの中心は批評理論,映画やビデオ,デジタル・アートの分析,そしてメディアの利用法やそのコンテンツについて.学生たちは制作用の機材を与えられ,テクノロジーがいかにメディアを形成するか,身をもって学べるようになっている.そのいくぶんまれな学際性ゆえに,この学科には監督やカメラマンをめざす者だけではなく,評論家志望の学生も多い.電子音楽,コンピュータを利用したビデオ,アニメ,映像作品の制作を会得したオケインは,メディア研究学科と音楽学科の両学科の課程を修了し,人文学部の修士号を授与される.当時の彼の趣味は音楽を演奏したり,自らアンプを組み立てたり,ミキシング装置やベースを調整することであった.これらを通して彼は電子工学を独学していった.
 オケインは卒業と同時に,バッファロー大学での指導教授ピーター・ヴァイベルの招きで,フランクフルトに新設されたニューメディア研究所にコンピュータやネットワークのシステム・マネージャーとして就職する.彼はそこでコンピュータ・グラフィックスを教えるかたわら,インターフェイス・デザインをも手がけるようになった.趣味がまた一つ増えたのもこの頃だ.彼はテレビゲームの虜になった.「私はゲーム少年ですから」とオケイン.「ゲームというのはインタラクションとレスポンスがすべて.画面の前に座った者が働きかけなければ何も始まらない,ある種の環境です.これは私がデザインするインターフェイスにも大きく反映されています.インターフェイスというのは,単なるジョイスティックやボタンにとどまってはいけません.もっといろいろな工夫ができるはずです」.
 もう一人,アーティスト・エンジニアとして有名なギデオン・メイ[★1]とは共通点が多い.二人ともアーテイストとテクノロジーのインターフェイス,つまりはつなぎ役である.オケインの強みがインターフェイスやハードウェアにあるとすれば,メイは情報やソフトウェア寄りであり,二人の作品にもそれが反映されている.二人ともいろいろなアーティストと仕事をしてきた.メイはカールスルーエのZKMでジェフリー・ショーやアグネス・ヘゲドゥシュと組んできたし,オケインはニューメディア研究所でピーター・ヴァイベルやコンスタンツ・ラム,マイケル・ソープ,ウルリーケ・ガブリエルらと作品を作ってきた.
 1980年代のコンピュータ・アートの担い手は技術者であり,アーティストはマシーンへのアクセスすらできないか,マシーンについてのきちんとした理解に欠けていた.これこそは最も非難された点である.オケインは語る.「もしインタラクティヴな電子アートが進化しようとするならば,アーティストはマシーンを使いこなせるようにならないと.コンセプトを作る側は,コンピュータ・テクノロジーやその言語,シンタックスにもっとなじむべきだし,精通しているべきだと思う」.
 最近では伝統的なアートの出身ながら,コンピュータ科学やコンピュータ工学を学ぼうというアーティストも多い.たとえばアニメーション・アーティストが既成のプログラムを使ったのでは,できることが限られてくる.特定の色や形や動きが欲しくてもソフトにそのオプションがない場合,アーティストが自分でそのオプションをプログラムするしかない.やろうと思えばできるのだ,ということを学びつつあるアーティストは増えている.「マシーンはオープンなのです」とオケイン.「プログラミングができて,しかもしっかりしたアイディアさえあれば,どんどん新しい地平が開けるでしょう」.
 メディア研究所の改組にともない,オケインは1993年,ウルリーケ・ガブリエルとともにフランクフルト郊外のオッフェンバッハにメディア・アート・スタジオ,アザースペースを設立する.ガブリエルとオケインの協力関係はちょっとユニークである.二人ともアートにもテクノロジーにも造詣が深く,そのあり方はある意味ではルネッサンス的である.しかし作業はそれぞれの持ち味を生かして行なわれる.オケインはマシーンに関する技術的な,細かい仕事を担当し,ガブリエルは作品の内容や理念を考える.もちろん彼女もプログラミングができるし,自分のインターフェイスを作ることもある.オケインは自分をテクノロジーとアートをつなぐ「つなぎ役」だと考えている.彼はガブリエルをはじめとする,いろいろなアーティストと組んできたが,いずれも着想がまず先にあった.が,それを正確に形にするには有効な移植が行なわれなければならない.二人がつくりだすインスタレーションはつねに過程として作動する.姿を現わす一片一片は時間の流れをスナップショットのようにとらえたものにすぎない.それはいつまでも続く.リンクは果てしなく成長しているのだ.

テライン(Terrain)
 ウルリーケ・ガブリエルがオケインに《テライン》のロボットを担当してくれるよう依頼したのは,オケインがまだニューメディア研究所にいた頃のことである.「アルス・エレクトロニカ93」が初展示だったが,今回P3で展示されたヴァージョンとほとんど変わらない.まず大きなスティール製のディスクがあって,その上を昆虫らしきものが群れをなして走りまわっている.手の平サイズのそれらのロボットには太陽電池が取り付けられており,それがディスクの上方から照射されるライトを受け止める仕掛けだ.そこへユーザーが脳波センサーを通してインタラクトする.脳波センサーは,人がリラックスした時のα波とβ波に分析され,ライトのバイオ・フィードバックの環状回路に接続される.つまりユーザーがどの程度リラックスしているかによって《テライン》に照射される光の量が変化し,ロボットが活発になったり静止したりするのである.
 それぞれのロボットは自律している.互いのコミュニケーションは皆無で,ぶつかり合わないように気をつけながら,ひたすら光を求める.オケインはこのロボットたちを「生きている」と言う.ただしA-Lifeで言うところの「生きている」という意味ではなく,自律的機能をめぐるもっと一般的な意味において理解してほしい,との注釈つきだ.だが行為をディスプレイするシステムの例にもれず,生き物へのアナロジーはシステムにとって有用である.「彼らは光を求めます」とオケイン.「つまり光が自らの生存の鍵であることを理解しているわけです」.生きながらえるためにはどうやらパニック様の動きが必要であるらしい.とりあえず光が充分にあっても,それ以上の光が見つからないとなると,ロボットたちはパニック・モードになってその場から走り去ってしまう.そしてより多くの光を見出すとともに,平静に戻るのである.
 空間内に分布し,拡散し,相互依存的に関係し合ういくつかのグループ・パターンを作り出すセルラー・オートマトンのダイナミックな構造が,《テライン》を触発したアイディアの一つだ.
 技術的な話をすれば,これらのロボットはアナログでかつ,きわめて精密な段階の機械である.CPUも汎用計算機も内蔵されておらず,プログラムもされていない.デヴァイスを選択し,値域としきい値の値を設定することによって一つのアナログ・システムがデザインされるが,状態の遷移がどこで起きるかは推定の域を出ず,プログラムを最適化するのもとても難しい.ロボットをつまみ上げ,開き,抵抗器をひねって,うまくいくことを期待しつつ,もとの場所に戻してもムダである.というのも調整するためにロボットを《テライン》からつまみ上げた瞬間,状態は変化してしまうのだから.空間内を動き回っているロボットを絶えず調整していくのは不可能に近い.
 そこで最良の手段は,ニューラル・ネットワーク同様,自己最適化となる.厳密に言うと現段階でのロボットはファジー理論に基づくシステムであるのに対して,ニューラル・ネットワークでは行為の結果がシステムにフィードバックされ,過去に学習された知識として次の決断に利用される.
 オケインはP3のヴァージョンを「脳幹」と呼び,ニューラル・ネットワークに近付くための次のステップとして,新たなレベル,つまり「皮質」を加えようとしている.その「皮質」は,ロボットの生存が確立し「自由時間」に入っているときにシステムを引き継ぎ,動きを支配する.他のロボットと協力したり,互いを見つけだしたり,新たなグループ・パターンを作り出すこともできる.
《テライン》を具体例として,オケインはアーティストとリンカーとの協力過程についてこう説明する.「結果として出来上がったロボットはウルリーケが考えていたものに近い.が,大きさやパワーにはどうしても限界がある.実際にわれわれが作ったものは必ずしも彼女が考えていたものと同じ,とは言えません.背景にある哲学が違うということもあります.たとえばアナログ・マシーンである,ということとかね.デジタル・マシーンにしていたら,回路についての実際の描写にもう少し近かったかも知れない.回路基板は私が担当しました.
 光と闇のアイディアは彼女のものです.二人の考え方や感じ方が違うわけですから,《テライン》の作動のしかたにも二人の様々な要素が反映されています.彼女は電子工学のエンジニアではありませんから,その側面に煩わされるようなことがあってはいけません.アートにフルタイムで集中したら,それ以外のことには気が回らないでしょう.同じように電子工学に本気で集中したら,アートの部分が疎かになってしまう.アートの側面が重要であることは二人とも同意しています.彼女はインスタレーションの全体像に集中します.ロボットだけではなく,光,グリッド,脳波センサー,ライト・マシーン.とにかく全体像に気を配ります.一方,私は細かいところに集中する.二人のうちのどちらが欠けてもやっていけません.それが“アザースペース”的進化論なのです.機能のあり方としてはおよそこんなところでしょう.とにかく分断されていないのです」.
 作品は様々な概念レベルで機能する.ユーザーはシステムにおけるリンクであるが,彼が全てを制御するかと言うと,そうではない.ガブリエルが作品を通して主張したいのは,支配しないことによって,つまり支配を放棄することによって支配する,というまさにこの点である.《テライン》をヨーロッパと日本で展示した結果,ガブリエルたちは両者の文化的な態度におもしろい違いがあることに気付いた.ヨーロッパのユーザーはインスタレーションの前に座って,それを支配したがる.だがオケインの観察によると,アジア特有の瞑想やリラクセーションの理念のせいか,日本のユーザーは一つの状況から自分を切り離そうとすることに抵抗がないようだ.概して日本のユーザーの方がフランクフルトのユーザーよりも楽にシステムを作動させることができる.フランクフルトのユーザーは,システムを作動させるもさせないも自分次第だ,というのがどうやらプレッシャーになるらしい.見ている人々もユーザーの周りに立って彼を眺め,「さっさとリラックスしろよ」と彼に期待する.「アルス・エレクトロニカ」でも,座ればシステムが作動するというものではなかった.まず目を閉じて,自分を状況から切り離す.リラックスして初めてロボットが動き出す.で,それを見ようと目を開くと,光がまたもや消えてしまう.というのもユーザーがそれについて考え始めてしまったから,脳波センサーがそれをつぶさに感知したのである.ユーザーはつい支配したいと思ってしまうので,これが何度も繰り返される.究極のゴールは,ロボットが動いているのを見ていられるようになること.ガブリエルの言葉を借りれば「目を開けてじっと心に抱く」,つまりご褒美をいただく,自分がやっていることの機能を眺めることにある.
 フランクフルトにあるオケインの机には,すでに次のロボットのプロトタイプが座っている.これまでのロボットは光を食べて生き,敏捷で,パニックに陥りながら互いにぶつからないように走り回っていたが,新ヴァージョンではこうした性質を超えようとしている.今度はそれを制御できるようにする予定だ.つまり,パニック状態を引き起こしたり,静めたり,ぶつかるようにしたり,避けるようにできるし,どんな状態の中にでもロボットを置くことができるのだ.ロボットとのコミュニケーションをいかに確立しうるか,あるいはロボットが反応すべき情報の与え方(たとえば特定の行動を起こさせるために光の色を分ける,といった具合)も研究中である.  もう一つ可能性のあるアイディアとしては,同時に二人のユーザーが脳波センサーをつけて《テライン》に接続できるようにする,というものだ.それぞれ影響を与える光のグループが異なり,ロボットはよりリラックスしたユーザーの方に来る仕掛けである.

アリーナ(Arena)
 《アリーナ》の第一ヴァージョン,《パーセプチュアル・アリーナ(Perceptual Arena)》はキヤノン・アートラボの協力で制作され,1993年に展示された.データ・グローヴとデータ・ヘルメットを装着し,ハイエンドのグラフィック・コンピュータを使うという古典的なVRインスタレーションである.その環境は,人が何かおもしろいものを認めたときにどう反応するかを検知しようとする.この検知に基づいて環境が修飾されると同時に環境の表象もつねにアップデイトされる.システムがそこから学ぶことはまだできないが,ガブリエルとオケインが学習することはできる.リプログラミングを通して彼らはシステムを進化させてゆく.
 第一ヴァージョンのユーザーはデータベースに自由に入り込めたし,そこから自分の手元へオブジェクトを引っ張ってくることも可能だった.次のヴァージョン,《アリーナ・ライフ(Arena Life)》で,ガブリエルが「部族」と呼ぶグラフィック・オブジェクトはA-Lifeの原理にしたがって自然発生する.オブジェクトがグループごとに互いに連結し,形を成してゆく.それらのポリゴンが自らの歴史,自らの親,自らの部族に基づいて自分の形を決めていくよう意識させ,そうしむけるようにするのがポイントだ.ユーザーはポリゴンとインタラクトできるが,ポリゴンの反応は様々だ.
 一方,《アリーナ》に新たな広がりをもたらすのがインターネットである.この計画についてオケインは説明する.「ネットで何かを見つけたとしましょう.その情報が3Dで表象されており,それが気に入ったとします.すると環境がそのオブジェクトの成長を促す.それに応じて重要性も増すかもしれません.どんどん活性化し,成長し,情報も増えて益々おもしろくなってゆく.でもつまらない情報もあるかもしれない.それを見る者は誰もいない.するとこっちはとても小さくなって,やがては消えてしまう.あるいは他のどこかへ移動する,たとえば新しいサーバーへね.そこにはおもしろいと思ってくれる人がいるかもしれない.で,その環境でそいつは大繁盛するわけです」.
 ユーザー・インターフェイスはVRML(VRモデリング言語)にプラグ・インされたデータ・ヘルメットでもいいし,マウスとアロー・キーのウィンドウだけだっていい.処理系がなんであれ,そこにはできれば3Dなど,何らかのグラフィックな表象があるだろう.《アリーナ》のトラッカー・インフォメーションとドローイング・ルーチンの開発はずいぶん進んでいるし,VRMLをテータベース化するのもさほど難しくはない.現時点で最大の問題は,《アリーナ》が空間的にだけでなく,時間的にも限定されていることだ.今のところVRMLにはアニメーション・タグがない.が,この問題が解決するのも時間の問題だろう.オブジェクトがどんなふうに動くか,どんなオブジェクトとなら連結するか.これについてはインストラクションが必要だ.やがて遺伝的プログラミングやA-Life原理もインプルメントされるらしい.オケインらはエージェントについても考えている.ただしそれは,「新聞を取ってこい」と言って送り出す犬のようなものではない.むしろ自らのエレメント内で生き延び,成長するような,もっと自律的なオブジェクトである.その場合の条件はおもしろいこと,おもしろいと思ってくれる誰かがいること.
 それがネットワークのジェネラル・ブラウザになる日も来るかもしれない.が,オケインたちはツールを作り出そうとしているのではない.「アザースペース」が創造するのはあくまでもアートである.それはインターネットのダイナミックスにのっとった表象的かつ美的,そして楽しく,またダイナミックなシステムでなければならない.



★1 -- ギデオン・メイについては,本誌7号で,メディア・アーティスト岩井俊雄と対話した「コンピュータ・グラフィックスとリアリティの結合――インタラクティヴ・アートにおけるエンジニアリング」を参照.

2 -- ボブ・オケインのホームページ
3 -- フォルカー・グラスムックのホームページ

イメージ

[「アートラボ第1回プロスペクト展」は1995年4月22日より30日まで,東京のP3 art and environmentにて開催された]

(フォルカー グラスムック・文化社会学/訳=とちぎ れいこ・アメリカ文学)


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