InterCommunication No.14 1995

Feature

映画の出現が意味するもの


小松弘


 19世紀の後半は,視覚的なものが社会において優位に立ったことで特徴付けられる.しかもその視覚性の優位は,ルネサンスの時代の認識論的秩序にあるような相似や類似に基づいた,そして決定的に世界の秩序が人間の秩序に基づいたようなマクロコスムとミクロコスムの相関性に準拠しているのではなく,反復と移動のファンタスムを特徴としていた.それは類似ではなく,反復,すなわち同一のものの繰り返しである.そして何よりも,反復されたものがあらゆる意味において移動することで,その存在と意義を増幅した.例えば蓄音機の発明は,音の反復と関係する.同一の音を幾度でも反復させるために,音はシリンダーやディスクに保存された.そしてその音は再生される際に,アンプリファイヤーを通して増幅されるのである.この増幅は,もちろんアンプによる音の大きさの増幅に限られるのではない.反復されることによって,同一の音が到る所に広がってゆく.ディスクが販売されることで,地球的な規模で,例えばシャリアピンによるアリアが空間的に増幅される.そしてまた,ディスクに保存されたこのアリアは,時間的に,本来消えゆくはずの音を越境させてゆく.こうして音自体が,あたかも不滅の視覚イメージとして見做されるようになるのが19世紀の末であり,音に対するこの認識の根本的転回を実現したのが,蓄音機という,音を視覚イメージの如きものにする装置であった.
視覚的なものの優位は,映像と呼ばれるものの種類が社会的に広がったことでも特徴化される.絵入りの新聞・雑誌が刊行され,写真印刷の技術が確立したことも,こうした拡大を助けた.交通の発達は,移動の概念をそれまで人々が持っていた以上に広大なものとし,トーマス・クック社のパッケージ旅行を初めとするツーリズムの流行が起こり,また政治・経済的には探険や植民地政策によって,世界全体が同時に視覚的なものになり始めた.すなわち地球規模において,地理そのものが移動する映像の装置の中に組み込まれていったといえる.視覚的なものの優位はこれだけに留まらない.例えば都市を作ることにおける視覚的配慮についても注目する必要があるだろう.
 視覚的なものの優位が,19世紀後半には同一のものの反復と移動のファンタスムとして特徴化されるとすれば,製造の概念もその規準に従うことだろう.すなわち製造そのものが機械化によって,それまでの職人的な製造の概念を変えた.まちがいのない反復の力により,同一の製品が機械的に商品化されていく.職人の一品生産と本質的に異なる大量生産は,19世紀の映像の時代の到来とほぼ同時に起こっている.写真や映画といった映像は絵画とは違って複製芸術であり,それらは基本的にはこの反復の力によって生じる.もちろん写真についても映画についても,映像それ自体の仕上がり(例えば現像の出来ばえ)には,依然として職人的なプロセスが介入し,それゆえ良いコピーと悪いコピーが存在することは事実である.そこに写真や映画といったモダニティにおける新しい芸術類が依然として古来からの芸術観によっても受容され得る隙間の一つがあるだろう(だが映像のデジタル化というそれ自体に矛盾を孕んだ発想は,良いコピーと悪いコピーの区別を無くし,古来からの芸術観の入り込む隙間を消し去ってしまうかもしれない).しかしいずれにせよ,機械的な反復という原理は,複製されたものの確実さ,信憑性,一般的な客観性を保証するものとなる.
魔法幻燈を基本装置とした映画が,まさしく機械的な反復という原理によって写真的なリアリティを表象しながらも,写真とは異なって幻影としての性格を持ち,しかもドミナントな形式としては物語るという方向に向かったというアンビヴァレンツは,一体どのように理解されるのだろうか.
 映画が発明されたという事実にはどのような目的があったのかという問いには,比較的容易に答えることができるだろう.すなわち,映画がその後向かうことになる方向とは異なり,映画は決して物語るための装置を作り出すという目的で発明されたのではなかった.映画はいわば,19世紀の認識論的土壌と科学主義の幸福な結びつきとして登場したのである.すなわち視覚的なものの優位の客観的な分析を表現したものとして,映画の発明を捉えることができる.映画カメラは人間の目の代理であるから,映画の視野は映画カメラによって観客全員の目を代理している.すべての人々が同じ視覚において同一の光景を同時に見ることは,映画という映像装置が個々の人間の目の特権を奪い取っていることをも意味する.この映像装置は客観性という名のもとに,個々ばらばらな主観性に対して最も信用性のある光景を提示する.それは視覚的なものの優位に結びついた科学主義の客観性に基づいていた.この強度の客観性は主観性と直接結びついた個々の目の特権を奪い,映像の客観性を新たな主観性を生む契機とする.この奇妙な主観性と客観性の相互干渉は,映画において観客が自己を極小化して映像に埋没することにも表われている.
 リュミエールのシネマトグラフが19世紀の末に人々に与えた魔法のような魅力,リアリティを持って動く映像が幻影として,あたかも映像ではないような錯覚を人々に与えた事実は,客観的な映像が主観的なものに転換された瞬間がもたらした結果としても捉えられよう.ここで重要なのは,この客観性と主観性が観客の目に基づいたものというよりは,観客の目の代理をした映画カメラがフィルム上に記載し,その後映写機がスクリーン上に記載した映像に基づいているということである.19世紀の視覚的なものの優位性が,人間の主観性の中心地点を移動させてしまったことは確かであろう.人間の目は認識のための拠り所ではなくなってしまった.ましてやルネサンス期のように,人間の目は世界を視覚的に捉把するための中心ではなくなってしまった.かつては人間の目が占めていた地点は,映像装置の機械的な目に奪われてしまったのである(例えばその典型的かつ具体的な事例としては,旅行にカメラを持ってゆくという慣習が挙げられよう.ここではカメラによって光景を写真撮影あるいはビデオ録画することで,その光景が旅行の光景として意味を持ち,そのように見えてくる.あるいはまた別の事例としては,ある事件の現場を見たという目撃者の証拠能力は,その現場に居合わせたカメラマンの写真の証拠能力の確実さに取って替えられる).
 見る者の主体の価値が減じられるということは,映像装置の登場の結果であり,すなわちそれは主体の中心地点の終焉を意味した.1900年のパリ万国博覧会は,来たるべき20世紀の文明・文化のあり方を展望すると同時に,19世紀後半以来の視覚的なものの優位が,主体に対して与えた結果の総和を展示する試みでもあった.リュミエールのシネマトグラフがこの博覧会を視野に入れてレパートリーを蓄え,しかも巨大スクリーンへのシネマトグラフの映像の投映を企画した時,そこには明らかに動く映像すなわち映画の,視覚的なものにおける決定的役割が見通された.だがこの博覧会で上映された映画で,より典型的に映像装置が主体を凌駕し,主体の映像(=客体)への書き込みを経て,我を忘れる体験をさせたのは,ラウール・グリモワン=サンソンのシネオラマであった.
 シネオラマはいわばパノラマの映画版である.19世紀末のパノラマが様々な仕組みで移動することによって旅行の幻影を見せていたとするなら,映画が発明されてまもなくして,パノラマの不動の絵画を映画によって表現しようという発想が出てきたのもごく自然のことであろう.1896年にはアメリカのシカゴでこのような企てを考えた者がいたが,これは実現されないで終わった.同じ1896年の11月には,フランス人ラウール・グリモワン=サンソンが,絵のかわりに映画の映写を用いるパノラマ装置についての特許を得た.彼のこの特許がシネオラマという形で実現されたのは,1900年のパリ万国博覧会[★1]においてである.全面がスクリーンとなった巨大な円形空間の中央に気球を模した装置が作られ,観客はこの気球のバスケットの中から,10台の映写機によって360度全方向スクリーンに投映された気球旅行の映像を見た.それはナダールの気球からの写真(1858年)であり,それまで人間の目では決して見ることのできなかった鳥瞰映像を撮影することは,映像装置としての写真が人間の目を凌駕する一つの証しでもあった.ノートル・ダム寺院から見た眺めばかりではなく,エッフェル塔から見た鳥瞰映像も数多く撮影されている.パリ万博の際には,あのエミール・ゾラもエッフェル塔からの眺めを写真撮影している.この塔はパリを上空から眺めるための,最もよい装置であった.そしてグリモワン=サンソンのシネオラマの円形空間は,このエッフェル塔の足元に建設された.
 航空機の出現以前に,気球は人間が空を飛ぶ唯一の手段であった.グリモワン=サンソンはこの映画によるパノラマを実現させるにあたって,気球旅行の主題を選び,自ら気球シネオラマ号に乗って,このパノラマ用の映画の撮影を行なった.パリ万博の際にシネオラマのスペクタクルを見た観客は,自らが気球のバスケットの中に入り,周囲に展開する空からの動く映像を見た.これは恐らく映画の歴史において,初めて上空から撮影された映像であったに違いない(現存するこの頃撮影されたと思われる気球から撮影された光景の断片は,グリモワン=サンソンのものである可能性がある).観客は自分が本当に気球に乗って空を飛んでいるような錯覚を持った.この時のセンセーションについては,グリモワン=サンソン自身が後に書いた小さな回想本の中で描いている(ラウール・グリモワン=サンソン『我が人生の映画』,1926年刊).つまりこのシネオラマを見た者は,眼下に展開するパリの光景や交通や歩く人々の姿などを見て,自分が本当に気球に乗って空を飛んでいるような感覚を持ったのである.もっともこのシネオラマの装置は構造上に問題があり,映写のために用いられたアーク燈の熱によって火災が発生する心配もあったため,僅か4回の興行の後,警察によって中止を命じられた(上掲書p.129).
 シネオラマは360度全方向の動く映像を見せたため,幻影の感覚はその度合いを非常に高め,見る者にあたかも本当に空を飛んでいるような感覚を与えた.それは見る者の主体が,見る者のまわりに展開する映像によって消えゆく瞬間に起こり得る.人間の目の収斂点は決してルネサンス期の絵画の前に立った人のようには中心へと向かわず,主体を消失させながら,つねに別の方向へとずらされてゆく.そこでは見る者の視覚は,ほぼ完全と言えるほどに客体としての映像の方に従属している.観客が映像による気球旅行に我を忘れるのは,主体の消失と一致する.それでは主体はどこに存在するのかと言えば,客体の側に存在するはずである.先に述べたように,強度の客観性は,映像の客観性を新たな主観性へと変貌させるからである.
 グリモワン=サンソンのシネオラマのような装置は,例えばヘイルズ・ツアーのようなスペクタクルとして後に実現されることになる.ヘイルズ・ツアーは列車の内部を模した場所に観客を座らせ,すなわち観客を乗客に模し,窓にあたるスクリーン部分に背後から列車から撮影された光景の動く映像を投映し,想像的な列車旅行を作り出すスペクタクルである.列車から撮影した光景という主題は,1897年頃から通常の映画の主題としてかなり人気を得るのであるが,観客が位置する空間自体を列車内のように装飾することによって,通常の映画とはまた若干異なった目的(ここでは明確に想像的な列車旅行)が実現された.このヘイルズ・ツアーもあるいはシネオラマも,映画が後にドミナントに向かうようになる物語性への方向とは別の映画のあり方を示している.初期の段階ではこのようにして,映画は決して物語を語るための道具として見做されていたわけではなかった.映画の発明に到る過程で,幾人かの科学者によって科学研究の目的で考案された連続写真は,初期の段階ではすぐにも科学映画としての方向性を示すものとなった.例えば高速度撮影(スローモーション)で再現された動体,低速度撮影(コマ落とし)で再現された開花する花びらのような映像は,連続写真が本来持っていたのと同一の,機械的尺度によって現実的時間を変更することで達成される科学的視覚分析である.また患者の発作状況を記録したりする医学映画,顕微鏡映画など,科学映画は映画史のごく初期の段階から存在し,それらはいずれも物語を語る装置としての映画ではなかった.それにもかかわらず映画を方向付けた物語性は,映画装置の何と関与することによって決定的となり得たのだろうか.
 実のところ本格的に物語映画が一般化するのは,それほど早い段階ではない.20世紀が2,3年経過しても物語映画はドミナントになってはいなかった.19世紀の段階では物語性を持った映画はキリスト受難劇か,もしくはメリエスの『シンデレラ』など,要するに誰でも知っている物語を扱っていた.そこにおいては,映画の映像は知られている物語のイラストレーションとして機能したのであって,自足的に新たな物語性を生むことは殆んどなかった.映画はその他の場合,大概はある一つか二つのシチュエーションを描くものであった.映画が物語性の獲得へと方向付けられた理由は幾つかあるが,ここでは反復と移動のファンタスムに関してのみ述べるに留めよう.
 反復は映画の主題についても行なわれ,例えば一つの主題が成功すると,それは何度も繰り返されることになる.同一の会社によって,他社によって.そして外国においてすら模倣された.こうして類似した主題はジャンルのようなものを形成する.さらに各ジャンルは互いに結び合って混合形式を作ってゆく.この混合形式が幻影の本質と伴なって,物語を語るという文化的伝統の中に沈んでゆくのが,1905年から1908年位までの映画史における物語映画のドミナンスの形成の過程であった.ところで映画という一つの装置の幻影としての特徴は,見る主体を消失させ,主体を映像である客体において復活させるところにあるのだったが,この本質と映画史が結局のところ物語性の獲得に向かったこととどんな関係があるのだろうか.  物語はフィクションとしての閉じた世界を持っており,そこには主人公や魅惑的な状況など,想像的なものが存在する.映画の映像が幻影として見る者に接近するあり方の,一つの大きな形として,想像的なものへの通路がある.見る者が映画の映像に対して我を忘れ,映像そのものに我を見つけるとすれば,それは物語映画において最も効果的に機能するのではないだろうか.映画の観客が映画の主人公に自らを同一化することは,あまりにもよく知られている.それは物語の魅力であると同時に,映画の映像それ自体の,見る者の主体を消失させる力のためでもある.映画の映像に新たな主体を見出すことによって,見る者はこの現実の彼方へと移動させられる.つまり映画装置は移動のための乗り物でもあるのだ.そしてまた映画の類型,映画の形式,映画のイデオロギーが反復されることによって,見る者は映画的に自らを構成する.現代人の思考に映画的思考があるとするなら,映画が目の代理なのではなく,我々自身が映画の代理ともなっているのではないだろうか.

[★1]本特集のサイモン・ペニー「ヴァーチュアル・リアリティの2000年」を参照

(こまつ ひろし・映画史)


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