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ジョン・ウッド&ポール・ハリソン 説明しにくいこともある

2015年11月21日(土)—2016年2月21日(日)

ジョン・ウッド&ポール・ハリソン 説明しにくいこともある

概要

はじめに

ジョン・ウッド&ポール・ハリソンは,1993年より,英国を拠点に,パフォーマンスやアニメーション,建築的なセットやさまざまな装置などの要素を取り入れたヴィデオ作品を共同で制作しています.その作品は非常にユニークで,近年では,英国内外で大規模な個展が開かれるなど,人気と評価を高めているアーティストです.日本国内でも,これまでに森美術館やブリティッシュ・カウンシルによる巡回展で紹介されたほか,ICCでも「オープン・スペース2012」展において6作品を展示し,多くの観客の人気を博しました.

ほとんど固定アングルで撮影される,どこかおかしみを感じる,そこはかとないユーモアを感じさせる作品は,それゆえ「なにをやっているんだろう?」「なにが起こっているんだろう?」という関心をひきつけるものであり,しかも親しみやすいものでもあります.彼らの作品は,NHKEテレの番組『2355』でも一時期紹介されるなど,作者の名前は知らずともその作品を記憶しているという方も多いのではないでしょうか.

たとえば,日用品の数々を新たな視点からとらえ,もうひとつの新たな使用法があきらかにされたり,それによって引き起こされたものの様態の変化に気づかせたりなど,シンプルなアイデアから生み出される,ユーモラスで意外性や示唆に富んだ作品は,どこか実験のようであったり,決定的瞬間のようであったり,映画のワンシーンのようであったり,さまざまです.

今回のICCでの展覧会では,作品のテーマをパフォーマンス,アニメーション,物語,映画の四つに分類し,日本初公開となる作品を含む20作品によって展観する,日本で初めての大規模な個展となります.

展覧会によせて

ウッド&ハリソン,ジョン&ポール,どちらにしてもロックのスーパーグループというわけではない.ジョン・ウッド&ポール・ハリソンは現代美術の領域で活動する英国のアーティストで,二人が制作するのは映像作品である.その映像に登場するのは,あるひとつのアイデアを淡々と無表情に(ときに笑いをこらえながら)遂行するアーティストたち自身や,さまざまな仕掛けや装置によって実現される,絶妙なタイミングや決定的瞬間のような,ありそうでなさそうな出来事の数々である.あるいは,装置によってメカニカルに実行されるアニメーションやオートマティックに演じられる無機的だがどこか暖かみのある一連のプロセスや,おなじようなセットがくりかえしスクロールする中で,毎回ちがう振る舞いをする演者,映画的な設えのミニチュアで再現されるスペクタクル,などなどである.それはどこかコミカルな装いで人を「くすっ」とさせるものであったり,「えっ」と驚かせるものであったり,ときに真剣にじっと画面を注視させたりするものでもある.その細部には,日常的な出来事の中に存在する自然の法則や物質のもつ性質などがあきらかにされ,またそこには喜劇や演劇や文学や現代美術や映画といった要素が見え隠れする.それらに共通して表わされているのは,ある事実としての出来事である.彼らの作品の中のある一瞬(彼らの作品は長いものでも,短いシークエンスのつながりからなっている),驚くような出来事はまちがいなくカメラの前で起こった現実だということ.カメラは,彼らが自身の身体や装置を使った実験を記録するメディアであり,そして起こりえた,ある時のただ一回の事実,というものが作品として完成される.それは,メディア・アート(あるいはテクノロジー)が魔法のようなことを科学的,技術的に実現するのとはちがうが,むしろありえないと思われること,あらしめたら驚くようなことを提示する,あるいは,アイデアを実現するためのいくつかの方法の提示ともいえる,示唆に富むものだ. 展覧会のタイトル「説明しにくいこともある」は,ある文章を別の言語で言い表わすことや,映像を言葉で説明することを,完全に,正確に行なうことがむずかしいように,彼らのアイデアを実現するために,ある表現で置き換える際に,どうしてもこぼれ落ちてしまうものがあることへのアーティストの意識の表われである.実験的であることとは「結果が予想できないこと」であると言われるが,それは言い換えれば「結果が予想通りになるとはかぎらない」ということであり,それゆえ,ただ一回の事実が,ありえないこと,奇跡のように思えてくるのである.だから,そうやっていくつもの実験をへて完成された彼らの作品は「説明しにくい」のかもしれない.

畠中実/ ICC 主任学芸員



会期:2015年11月21日(土)—2016年2月21日(日)
会場:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] ギャラリーA
開館時間:午前11時—午後6時(入館は閉館の30分前まで)
* 2月20日(土),21日(日)のみ開館時間延長 午前11時─午後7時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(月曜が祝日の場合翌日),年末年始(12/28–1/4),保守点検日(2/14)
入場料:一般・大学生500円(400円)/高校生以下無料
*( )内は15名様以上の団体料金

主催:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

協力:フォステクス カンパニー

展示作品

1. パフォーマンス

ここにあるのは,わたしたちが最初に作ったヴィデオ作品だ.二人とも美大を出たばかりで,18ヶ月間,集まっては,結果を気にせずにいろいろなものを撮影した.当時はただアイデアを試して,何が起こるかを確かめていただけだったが,自分たちの作品の礎となるヴォキャブラリーや枠組みができ始めたのがこの時期だった.その多く——ルールの体系とある種のロジック——は,いまも我々の作品の基盤だ.

1993年に,最初のヴィデオ作品を作った.その頃考えていたのは,人間とその直近にある建築空間との関係,空間のなかでその人物がどのように動き,別の人物や様々な物体とどのようにインタラクトするかだった.そして,決断の下し方や,自分の時間をどう使うかを見つけだそうとしていた.ある行為の手順を説明する実用的な図表の立体版のような,あるいは,ある人をいろいろな状況に置いたときに何が起こるかを見るためのヴィデオ作品を作りたかった.

(ジョン・ウッド&ポール・ハリソン)

2. アニメーション

点,線,面.これらはドローイングの要素である.このリストに時間を加えれば,ある種のアニメーションができる.特にわたしたちのヴィデオ作品をドローイングの一種だとみなした場合,そうした面はわたしたちの興味を惹いた.

2003年に,人間を主役にしないヴィデオ作品を作り始めた.ものに集中して,それらを点,線,面が具体化したものとして利用した.例えばそれは《ブラインド/点》のように,建築空間に生命を吹き込み,三次元でドローイングを描く方法だった.あるいは《ノート》のように,日用品に着目し,それらを本来の目的とは異なる方法で使うことだった.《ノート》では,テーブルと物を,観る人が想像力を投影できるような空間として扱った.テーブルは,景観や川,山,事故,地図,もっといえばあらゆるものになりえる.それはまた,立ち止まって,自分の時間を何に使うか決める方法でもある.

《コピー機》や《グレーの椅子》などの作品では,実在する物を使った別のローファイな映像の作り方を研究した.後者では,椅子は人間の代役となり,映像は無重力性を追求する.三次元の物体を,二次元のドローイングや絵画にしたかったのだ.

これらの作品にはすべて,イリュージョンの要素がある.わたしたちには,動かないものに生命を与えようとするときに生まれる陶酔や驚異の念も感じられる.

(ジョン・ウッド&ポール・ハリソン)

3. 物語

わたしたちの映像作品には,複数のセクションで構成されているものが多い.各セクションは主題的にはつながっているものの,たいていはばらばらの短い場面の集合だ.2005年までに作ったわたしたちの映像はすべて,固定カメラによるワンカットで撮影されている.《他にはこれしかないポイント》も複数セクションによる構成だが,この作品では各セクションをつないで,トラッキング・ショットを使ったワンカット撮影のように見せている.出来事とカメラがともに空間内を移動する.わたしたちの映像には一貫して建築的側面があるが,カメラを動かせばこの面をより深められるのではないかと思った.アクションをプロセスとともに別々のショットで記録し,それらをカメラの移動によってシームレスにつなげる.このようにして,流れを作り,さらにはずみをつけることができる.

また,物語構造についてより注意深く考えるようになった.撮影した素材を,出来事の内容だけでなく,建築(撮影セット)や,アクションから次のアクションへのカメラ移動によってつなぎ,物語の構造を作り上げようとした.

さらに,物語の手段や形式にも目を向けた.三幕物や五幕物の演劇構造のようなもののことだ.《エルドクンデ(地球の調査)》でわたしたちが採用した形式はレクチャーだった.さまざまな素材や一見まったく異なる要素を盛り込んで,ある種の統一的な感覚を表現することができた.少なくともそこには,導入部,中間部,そして結末がある.

(ジョン・ウッド&ポール・ハリソン)

4. 映画

ずっと映画を観てきた.映画からは多大な影響を受けてきたし,これからもなんでも観るだろう.世界最悪の映画もいくつか観たことがある.若い頃は,スタジオで一日中制作したあと,夜中まで次から次へと映画を観たものだ.いまは睡眠のほうが大事だけれど.

《DIYVBIED》では,車の爆発というクラシック映画的瞬間を取り上げ,ありふれた情況下で50台の車を爆発させた.実際に行なったのは,とてもドラマティックな瞬間を取り出し,そこからドラマを排除するということ.これは,そういった出来事をニュースで見ることに免疫がついてしまうことに似ている.

《100回の落下》は,同じく反復に関する映像だ.わたしたちは,不信の宙づりという概念に興味をもっていた.《100回の落下》における映像上のごまかしは見え透いているが,鑑賞者が,いつまでも終わりそうにない落下を見ているうちに集中力を失いかけて,ときどき,そうでないとわかってはいても,本物の人間が落ちているかのように感じてしまうといいなと思っていた.

《車/湖》には,湖に車を沈めて証拠隠滅するという,アメリカ映画の古典的シーンへのオマージュが込められている.たとえなにが起こるかわかっていたとしても,結末を見届けた鑑賞者には一定の満足感が残る.とにかく退屈な映像を作って,それを絵画のように見せたいと思った.

(ジョン・ウッド&ポール・ハリソン)

参加アーティスト

ジョン・ウッド&ポール・ハリソン

1989年にバース・カレッジで出会い,1993年から共同で作品を制作.シングル・チャンネルのヴィデオ作品,マルチ・スクリーンのヴィデオ・インスタレーション,印刷物,ドローイング,彫刻など多彩な形態の作品を発表し,それぞれで高度な美学的探求と実存主義的なコメディを融合させている.彼らの簡潔で気の利いた作品では,彼ら自身が行なうアクション,静止または動作するさまざまな小道具,またはその双方のコンビネーションが登場し,アートの制作や日々の生活に伴う喜びと苦しみを表現している.ヴィデオは厳密な内在的論理に従っており,繰り広げられるアクションは作品のもつ時間と直接関連がある.この「論理的世界」のなかでは,これといった理由もなくアクションが起こり,環境とその中にいるものとのあいだに緊張状態が生まれ,遊びが促され,作品への影響は意図的に混ぜ合わされる.その多くが批評家トム・ラボックによって「彫刻的しくじり」と称された,常に成功するわけではない動きと素材の実験において,ウッド&ハリソンは多くの発明,繊細なドタバタ喜劇,そしてちょっとした陽気なメランコリーを使って,あらゆる創造行為の裏にあるひらめきと,それをもたらした汗(努力)——そしてときには少しの絶望も——を露にする.

関連情報

割引情報

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