原爆ドームや厳島神社の映像が,環境音とおぼしき音響とともに,それぞれ立体や壁面に投影されています.それらの映像に近づくと自分自身の影が映像をさえぎってしまい,映像が見えなくなるかわりにプロジェクションされた映像とは別に,映像の投影されている中に小さなディスプレイが設置されていることに気づきます.そのディスプレイには,人物がジュースをストローですすったり,黒板を引っかいたりする,一般的に不快な音と言われる音を出す動作を行なっている映像が再生され,風景の環境音だと思っていた音が,じつは場合によっては「雑音」となるような音であったことに気づきます.
また,メンバーの一人が自身の出自に関しての「運命」を乗り越えようとする様子が,ゼノンのパラドックスの「アキレスと亀」のエピソードのように,亀を追い越そうとしてもどうしても追い越せないという,論理的矛盾への挑戦になぞらえてドキュメンタリータッチに描かれています.
「イドラ」とは人の偏見や先入観など誤った認識をしてしまう要因のことを指す言葉ですが,鑑賞者に積極的な誤認を促し,認識を転倒させようとする《雑音やめよう》(2014)と,思い込みが引き起こす物語を描いた《運命やめよう》(2014)によって,私たちの身の回りで起こる出来事に対して「私たちがみているものは何なのか」あるいは「何をみようとしているのか」と問いかけます.また,チームやめようの活動の一端を紹介する,「“やめたくてもやめられない”ことを“やめよう”とすること」がまとめられた「やめよう集」もあわせて展示します.