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ICC コレクション

《存在,皮膜,分断された身体》 [1997] “World, Membrane and the Dismembered Body”

三上晴子

《存在,皮膜,分断された身体》

作品解説

音が反響しない無響室の特殊な空間で,身体の奥から発生する自身の体内音とスピーカーから流れてくるリアルタイムに増幅された体内音の二つの音のズレが,身体と思考を分離し,肉体としての身体感覚が消滅して断片化された諸感覚が覚醒していきます.身体器官の音を空間内に拡張・変容させていく「知覚による建築」を提示する作品です.

アーティスト

展示情報

関連情報

作家の言葉

このプロジェクトは,無響室内に設置された身体内音測定スコープとコンピュータ・プログラムにより体験者の身体器官の音を空間内に拡張,変容させていく「知覚による建築」を提示する.可聴化された体験者の身体音は自らの耳をインターフェイスとして身体内にフィードバックされていく.また数値化された心臓,肺,血液循環などの器官音はパラメータとなって3D画像のポリゴンを継続的に変化させ音と画像が同時に無響室内に現われる.わずかな身体内の音が体の内部の膜を反響している状態と,それが体外へ増幅され無響室内でズレを起こしながら反響している二重の状態がリアルタイムで起こるので身体も環境も対象ではなくなり,その間に存在する「耳」という媒介システムがインターメディアとなって現われ,聴覚と場の知覚コードのようなものを表現させる.知覚コードと言っても作品制作上ではそれは「耳は聞くものではなくて,眼は見るものではない」といった抽象的な表現である.

体験者身体の断片(耳/聴覚)は心音という心理状態を含む不規則なデータの集積回路となって,一秒一秒の心象の変化によっても作用される.つまり,心臓を鼓動させ変化させようとする無響室内の身体反応と,その結果身体の外に出た音の動きに違和感が生ずる.心音は途中で外圧のようなものがあると,それに振り回されてしまい,聞いている音とコントロールしようとする思考の間に分離がおこる.そのため,ある種肉体が消滅した感覚を抱く.自らが抽象的なデータとしての存在となり,諸感覚だけが覚醒する.身体という主体が姿を消して断片化されたバラバラの身体を意識することになる.

身体内ノイズと無響室

無響室は音の反響がない特殊な空間である.しかし無響室においては沈黙は存在せずつねに音が存在する.それは自分の身体内のノイズである.長い間そこにいると身体の内に脈打つ血と肺の音が支配してくるような錯覚がある.身体の内部の膜を反響しながら,身体の肉の中で発する音(心音,肺,血脈,おなかがゴロゴロする音など)を聞いていくと,私自身も音を出す存在であると認識する.心音は一番底辺の自己表現ともいえる.

私はプログラムを組むという数学的な行為がどう知覚や身体と影響していくかを試みてきているが,知覚世界の全幅にあいまいさが拡がっているのを再認識する.心音のパラメータはいつもふらふらしたものであるし,このプロジェクトの設定が個々の〈意識〉状態の体験であるために,体験中も憶測の解体を繰り返している.聴覚にとっては体内音は身体以前のものであるので,自分の心音を自分の耳で聞くという行為が自己を触発する.私の身体と私の間には距離があり,その距離を耳が媒介していく.自分の身体が無響室の中にある在り方は,ちょうど心臓が生体の中にある在り方と同様のように思う.しかし自分の体の内部が見えるという視覚的な刺激はそこにはない.もっと聴覚的な体験で通常よりも耳を意識するようになり巨大な耳の中にいるような印象も受ける.

聴覚

無響室に入室すると,音の反射がまったくないせいか耳は生きていないかのようだ.もともと耳という形自体も退化した化石のような印象がある.耳には,眼と違って二重化された表現はあまりなく,耳は自分が聞いているということを示さない.人間の耳は自由には動かない.つまり眼は閉じることによってある情報を遮断することができるが自らの力でそれを受け入れないようにすることはできない.

体験者の耳は体外に出た自らの音を身体という反響体の中に入れて身体の奥深くの膜に鳴り響かせ振動させる.人は後ろに気配を感じるようにこのプロジェクトでは耳は見えていないエリアに触覚をのばし距離を数値化する.耳は知覚する主観と知覚される世界の間にあるものを感知できる空間位置センサーとして機能する.

感知—知覚建築

VRの世界でも,聴覚は視覚の補助として機能していることが多い.しかし視覚は瞬間的には注意の向いている空間のほんの一部しか高い解像度で認識することができないが聴覚は全周囲からの感知がつねに可能である.多くの警報が音で伝えられている.今回のプロジェクトでは音の三次元表現により聴覚系のレンダリングを試みている.アルゴリズム的にも心象や身体内音の波形データを時間軸状に伸ばしたり縮めたりすることによって身体内情報と連動して繰り返して変形していく.

身体の断片をインターフェイスとした過去の作品

過去の作品でも観者の脈拍を媒介装置とした作品,視線入力で形態をつくっていくVR作品など,身体の断片をデータに解体してインターフェイスとなっている作品をつくってきた.それは私がインターフェイスはわれわれの内側に存在していると考えるからである.

なお,この作品の音構築については,NTT基礎研究所の柏野牧夫氏のご協力をいただいた.

(三上晴子)

無響室と聴覚

無響室で体験する圧迫感や不安感は,何に由来するのだろうか.無響室では音の反射がなく,外部からの音の侵入もない.したがって,その中の聴取者は,他に何もない無限大の空間に宙吊りになっているのと音響的には等価である.普通の環境では,聴取者は,足音や声,その他諸々の音の反射によって,周囲の空間の大きさや材質を,ほとんど無意識のうちに把握している.ところが,無響室では,聴取者をとりまく環境は,もはや聴取者に応答してはくれない.これでは,聴取者は,環境の中に自己を定位できない.すなわち,知覚的にも宙吊りになる.「自分が世界の中に生きている」という,あらためて疑われることもない実感は,じつはかなりの部分聴覚がつくりだしているのである.これには,たんに耳に入ってくる音の聴覚系や脳における分析だけでなく,運動系による環境への働きかけや,内臓の状態変化など,多様な下位過程が関与している.無響室では,その宙吊り性を利用して,音を媒介とした聴取者と環境との相互作用のあり方を人工的につくりだすことができる.

(柏野牧夫)

作家紹介

三上晴子は,生体における神経系やウィルス,情報戦争,皮膜などを題材として,人間がおかれている多様な情報環境をめぐる問題を作品にしてきたアーティストである.最近の作品においては,物理的な形に価値や意味をもたせ,触れることも可能であったインスタレーションから,プログラム(数値)自体の変化を可視的な形態(知覚)の変化にインターフェイスさせることによって成り立つ作品に移行している.VR(仮想世界)を現実世界のコピーとしてのヴァーチュアリティ(仮想性)ではなく,ヴァーチュアルな世界でしかリアルにできないものと捉え直し,因果,偶然性といった予測不可能性を知覚可能なイメージや形態にインターフェイスすることによって,身体感覚を揺動させる.そのプログラミングこそが三上晴子にとってのメディア・アートといえるだろう.

彼女は,生体と情報とのかかわりを人間の各部のパーツをインターフェイスとして作品に取り入れてきているが,近年,身体をテーマとした二つのプロジェクトがある.一つは内側にある分子から身体を表現するアプローチ,もう一つは身体の外側にある皮膜である.前者は95年から96年にかけてキヤノン・アートラボと行なった《Molecular Clinic》《Molecular Informatics》に代表される.インターネット上だけで公開された《Molecular Clinic 1.0》では,アクセスした不特定多数のユーザーによる数値的因子の交換によって作品全体の形態や空間の構造を変化させていく.それは情報交換の関係性によって成り立つアートを提示した.その後の《Molecular Informatics》は,視線検出センサー付きのVRグラスを使用し,モレキュラーで構成された仮想世界を見るというもの.そこでは,人間の身体の断片である視線の動きという情報が,仮想の三次元空間上で数値化され,視線の軌跡に合わせて瞬時にモレキュラーの連鎖がリアルタイムで生成されていくという,不可視の情報交換を通 じて生成・変化する世界を表わした.

これら二つの作品は,これまでの情報のメタファーとして捉えた物質素材による作品ではなく,情報そのものを提示するという新しい展開でのアプローチであった.後者は,身体や国境,空気といったさまざまな次元に折り重なりながら存在する「皮膜からなる世界」を検証する《World Membrane》プロジェクトとして続けられている.92年《Borderless Under the Skin》では,感染病を題材に,指から伝わる体験者自身の脈拍をLEDの点灯によって示し,感染系の経路を可視化させている.ICCでの新作《World, Membrane and the Dismembered Body》は,聴覚によってこの皮膜からなる世界を捉える.かつて,三上晴子は無菌室において防護服を着用させ,自身の体験を現実感のない別の次元へと移行させたが,今作では,無響室という聴覚的,視覚的に隔離された音響等価の特殊な空間で,「知覚による建築」を実現させる.

(小島陽子)

作品一覧