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トリシャ・ブラウン Trisha BROWN

トリシャ・ブラウン

プロフィール

1936年,ワシントン州アバディーン生まれ.47年には,アクロバティクス,ジャズ,バレエ,タップを学びはじめ,54年,ミルスカレッジ(カルフォルニア州オークランド)で学びながら,アメリカン・ダンス・フェスティヴァルでマース・カニングハムなどに教えを受けた.卒業後,リード・カレッジ(オレゴン州,ポートランド)で教えはじめた頃,即興の実験も開始.動きの源泉を日常的なしぐさの中に探査し,創造的過程に言語性を組み込む.「構築された即興」と呼ばれる振付けの性格は,初動的な枠組みとゆるやかな反復に基づいていた.61年イヴォンヌ・レイナーらの勧めでニューヨークへ移り,マース・カニングハム・スタジオの実験ダンス・コンポジションのクラスに参加し,ロバート・ダンからジョン・ケージ流の偶然と非決定性のコンセプトを応用した振付けを学ぶ.このクラスは後に,ジャドソン・メモリアル・チャーチのパフォーマンス・シリーズの先駆となった.例えば,ロバート・ホイットマンのハプニング《マウス》(1961年)や《フラワー》(63年)に加わり,《ホームメイド》(66年)では彼と共作したように,60年代から70年代にかけて,視覚芸術家,ライター,映画作家やハプニングの参加者と交流していく.また,一方で,重力を意識したロープや登山用のハーネスなどの装置を用いたバレエの振付けを始める.公園や広場,屋根,ギャラリー,教会など非伝統的な場所で行なわれたブラウンの初期パフォーマンスは,一回限りのものも多く,またヴィデオが一般化される前のものも少なくない.70年には,レイナーらとともに実験的振付けグループ「グランド・ユニオン」を結成し,また,3人の女性ダンサーによって自らのカンパニーを立ち上げた.70年代中頃までには,美術作家とのコラボレーションを精力的に行ない,他のパフォーマンス・アートや視覚芸術,彫刻さえも組み入れてオリジナルな振り付けのヴォキャブラリーを発展させた.なかでも78年より彼女のカンパニーの団長を任されるようになったラウシェンバーグとのコラボレーションは,《グレイシャル・デコイ》(1979年)を皮切りに,《セット・アンド・リセット》(83年),《アストラル・コンヴァーティブル[Astral Convertible]》,《フォーレイ・フォーレット[Foray Foret] 》(90年),《もしあなたが見えなかったら[If you couldn't see me] 》(94年),《私たちが見えるYou can see us》(95 / 96年)など,ブラウンの活動の中核を形成してきた.美術作家とのコラボレーションは,中谷芙ニ子(《オパール・ループ》80年),ドナルド・ジャッド,ローリー・アンダーソン,ナンシー・グレイヴズ,近年のテリー・ウィンタースなど現在も進行中である.[上神田敬]

[2003]

作品

展示 & イヴェント