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ロバート・ラウシェンバーグ Robert RAUSCHENBERG

ロバート・ラウシェンバーグ

プロフィール

1925年,テキサス州ポート・アーサー生まれ.テキサス大学(オースティン)で薬学を学ぶ.海軍に徴兵されサンディエゴの海軍病院で精神科の技師として働く.カンザスシティ美術研究所(ミズーリ州),アカデミー・ジュリアン(フランス,パリ),アート・ステューデンツ・リーグ(ニューヨーク)に学ぶ.ブラック・マウンテン・カレッジ(ノース・キャロライナ州)ではジョゼフ・アルバースに学ぶ.また51年,「ホワイト・ペインティング」を制作.ブラック・マウンテン・カレッジでジョン・ケージの最初のハプニングとして知られる「シアター・ピース#1」に参加.52年,サイ・トゥオンブリーとイタリア,北アフリカを旅行.翌年,帰国しニューヨークへ移る.この頃から,さまざまなオブジェと抽象表現主義的な筆触による「コンバイン・ペインティング」を制作し,絵画に文字通りの現実的な要素を導入した.54年,ジャスパー・ジョーンズと出会う.50年代末,彼とジャスパー・ジョーンズは「ネオ・ダダ」と呼ばれるようになった.60年以降は,多様な写真をシルクスクリーンによるコラージュ風の構成を始めた.63年,ユダヤ美術館(ニューヨーク)で回顧展,64年,第32回ヴェネツィア・ビエンナーレでアメリカ人として初めて最優秀賞を受賞.また,50年代より,マース・カニングハム,トリシャ・ブラウンらと音楽やダンスのコラボレーションを行ない,さらに振付師やダンサーとしても活躍した.59年,アラン・カプロー「6つの部分からなる18のハプニング」(ニューヨーク,リューベン画廊)で,ジャスパー・ジョーンズとともに1枚の布の両面に絵を描く.60年,ジャドソン・チャーチ・ダンス・シアターに参加,61年,パリのアメリカ大使館劇場で「デイヴィッド・テュードアに捧ぐ」に参加し,同年,マース・カニンガム舞踏団照明ディレクターおよびステージ・マネージャーに就任する.66年,「九つの夕べ──演劇とエンジニアリング』では《オープン・スコア》の上演のほかさまざまなかたちで参画し,その後,ビリー・クルーヴァー,ロバート・ホイットマン,フレッド・ウォルドダゥアーらとE.A.T.を設立.また,この頃,本展出品作の他,《オラクル》《サウンディングズ》などテクノロジーを導入したインスタレーション作品を制作.78年,トリシャ・ブラウン・ダンス・カンパニーの団長に就任.84年,ニューヨークの国連で「ROCI」(ラウシェンバーグ海外文化交流)の発足を発表し,メキシコ,チリなど世界各地を旅しイメージを蒐集する.86年の世田谷美術館「ROCI日本」展など85年より90年までROCI世界巡回展を開催した.92年,第2回ヒロシマ賞を受賞し広島市現代美術館で記念展,97年,グッゲンハイム美術館において回顧展を開催した.98年,日本美術協会より高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞.[上神田敬]

[2003]

作品

展示 & イヴェント