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オスカー・フィッシンガー Oskar FISCHINGER

オスカー・フィッシンガー

プロフィール

1900年,ドイツ,ゲルンハウゼン生まれ.1920年ころフランクフルトの文芸サークルで演劇・映画批評家ベルンハルト・ディーボルトに出会い,抽象映画の制作を勧められる.1921年にヴァルター・ルットマンの抽象映画に感銘を受け,ミュンヘンに移り映画作家としての活動を開始した.1928年にベルリンへと移り,抽象形態が音楽と同期してリズミカルに舞い動く「ヴィジュアル・ミュージック」の先駆的な作品として知られる《習作》シリーズ(1929–33)を制作.1936年,ナチスの抽象芸術弾圧から逃れてアメリカに亡命し,ハリウッドを活動の場とする.ウォルト・ディズニーの《ファンタジア》(1940)の制作初期に協力するも,作品が純粋抽象映画にならないことを理由に制作から離れる.《ラジオ・ダイナミクス》(1942)では,サイレント・ムーヴィーでありながら,線や形の運動のみによって音楽的な感情を表現するという,視覚による音楽表現が試みられた.《モーション・ペインティング No.1》(1947)は,フィッシンガー最後の作品であり,これまでの音楽と映像の同期といった方法論ではなく,プレクシグラスに描かれた抽象絵画の漸次的変化によって制作されている.1950年には巨大な色光オルガンである「ルミグラフ」を考案.晩年は不本意ながらも絵画に専念し多くの作品を残した.フィッシンガーの作品と思想は,エドガー・ヴァレーズやジョン・ケージといった音楽家,ノーマン・マクラレンやハリー・スミス,ケネス・アンガーといった映像作家など多くのアーティストにも影響を与えた.1967年ロサンゼルスにて没.

[2010]

展示 & イヴェント