情報は自由を求めている

「関心」の市場

情報を自由にコピーすることが,生産者にとってマイナスになるとは限らない.現在のインターネット・ブームをつくりだしたネットスケープ・コミュニケーションズ社が,1994年に初めてブラウザを売り出したとき,社員はわずか200人だったが,インターネット上で自由にコピーさせることによって,ネットスケープは発売から1年あまりで数千万人のユーザーを獲得した.ソフトウェアを無料で公開することは,これを「商品」と考えると無謀な行為に見えるが,「広告」と考えれば,世界市場でこれだけのコマーシャルを行なうことは,どんな巨大企業にも不可能だろう.

また日本ではほとんど知られていないが,アメリカで伝説的な人気をもつグレートフル・デッドというロック・バンドがある.創立メンバーのJ・P・バーロウの方針で,コンサートも録音自由で,海賊盤の数はどんなバンドよりも多いが,コンサートには数十万人の観客が集まる.彼らは,パッケージ・メディアはコンサートのプロモーションと割り切っているのである.

経済学者ハーバート・サイモンは30年前に,「情報の稀少な社会では情報に価格がつくが,それが過剰な社会では情報を消費する関心が稀少になる」と予測した.音楽を聞く消費者は,じつはそのミュージシャンに対して関心という対価を払っている.人気を維持するためには,金銭を払ってもらうよりも関心を払ってもらうほうがはるかに重要である.

関心の市場は,狭い意味での広告には限られない.日本では,広告はずっとGDPの1パーセントどまりの「1パーセント産業」とされてきたが,米国ではこの比率は3パーセントである.この差は,商品を営業マンが売り込むか広告で一般に訴えるかの違いだが,営業経費のかなりの部分は顧客の関心を呼ぶためのコストだから,現在のように労働集約的なかたちで行なわれている営業活動がインターネットに代替されれば,その規模は現在の広告産業よりも大きくなる可能性もある.

ヤフーなどの「ポータル」が注目されるのも,電子商取引が本格化すれば,その入り口への「目玉のトラフィック」が高い価値をもつようになるからだ.そしてこの個人情報は,マーケティングの武器となる.消費者は,カネの代わりに関心を払うことによって,いわば情報と自分のプライヴァシーを交換しているわけである.今後は,この資産としての個人情報を消費者自身がどうコントロールするかが重要な問題となろう.


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