ICC Review


「ポスト・ミュージック――脱音楽の位相」
2000年2月17−20日 ギャラリーD



いま,テクノロジーの進歩に伴い,あらゆる音響が「音楽」として扱われ,聞かれている.また,90年代後半から活発になった,従来の「音楽」という枠組みを逸脱していくような音響作品群の出現.そうした現在の状況の一断面を提示する試みとして,「ポスト・ミュージック――脱音楽」という造語をキーワードとして掲げ,「サウンド・アート」展出品作家などを含めた8人によってコンサートおよびシンポジウムがもたれた.

初日2月17日は,英国でタッチ,アッシュ,ORといったレーベルを主宰するMSCハーディングのmesmerとジョー・バンクスのディスインフォメーションによる演奏およびDJ.セットは,mesmerの機械音や電話の時報のようなサンプルを使用した,静謐で催眠的なサウンド・コラージュから一転して2人によるアッシュの音源を使用したDJへと移行.続くディスインフォメーションの演奏ではギャラリーを振動させるような重低音ノイズをへて,2人の即興電子音響へという構成で行なわれた.

18日のシンポジウムは,ジェーン・ドウ,ポル・マローを除くコンサートの出演者にヲノサトル,佐々木敦,進行係としての筆者を加えた総勢9人によって進められた.参加したアーティストたちは活動歴もその基盤もそれぞれ異なっているため,このシンポジウムを含めた4日間は,結果として「ポスト・ミュージック」という言葉に収束する新しいヴィジョンの提示というよりは,それぞれの差異も含めたうえで状況の検証,確認作業にとどまるものだったと言えるかもしれない.しかし,ディスカッションでは,それぞれの創作のスタンスはもちろんのこと,ある意味でこうしたノイズ,電子音楽の祖と言えるジョン・ケージに対する評価の相異や聴取という行為の創造性など興味深い話を聞くことができたと思う.

19日は「サウンド・アート」展にも出品した匿名アーティスト,ジェーン・ドウが出演(!).極端に変調された電子音が飛び交う前半と,聞き覚えのあるポピュラー音楽のフレーズが間欠的にカットアップされる後半とのコントラストが印象的だった.クリストフ・シャルルは自身を観客と同じ聴取環境に置くため客席の中心で演奏した.過去の作品《ネクスト・ポイント》からの素材を使用した作品で,コンピュータ・ソフト上の音の波形を投影しながら行なわれた.ここでは展示作品と異なりランダムな要素は介入していない.ドラッグ・クイーンでもあるテーリ・テムリッツは女装をして登場した.彼は演奏の前に,ゲイとクイーア(Queer)の差異について述べた.それによれば,性を転換することによって自己を性別的にも役割的にも規定してしまうことではなく,その中間的であいまいな領域に身を置くことが自身の音楽制作の根幹にもなっていることを説いた.今回は多岐にわたる彼の音楽スタイルのなかから,優美なメロディとノイジーな断絶を用いたデジタル・シンセシス作品を演奏した.

20日のポル・マローはZon-Suke,針谷周作,中原昌也とのユニットThe Cooking and Thinkering Errchestraによる演奏を行なった.料理と音楽の融合を試みる彼らのステージにはガスコンロ,鍋,野菜などおよそコンサートとは縁遠いものが並べられた.ターンテーブルやサンプラー,パーカッション,シンセサイザー,上記の調理器具などからなるアンサンブル(?)の演奏は,レコードや野菜を切る音などの不穏な響きとともにスタートし,最後はカンを思わせるハンマービートで締めくくられた.ニューヨークから参加したモリイクエは,アート・リンゼイらと伝説的バンドDNAを結成していた経歴をもつ.当時まったくの素人ドラマーだった彼女は,現在はドラムマシーンを自分の楽器としている.シンポジウムでの本人の発言にもあったように,彼女の作品はあくまで音楽を志向しており,楽曲も綿密に作曲されたものである.フィリップ・ジェックの演奏は年代物のクラシカルなレコード・プレイヤー2台とカシオトーンによるもの.既成のレコードがつくりだすループはジェックの音楽の素材と化し,最早原型をとどめてはいない.演奏途中ループのモアレのなかから《リトル・ドラマー・ボーイ》のフレーズが聴こえたときの,意外さとともに不思議な整合感が心地よかった.

連日多数の来場者によってギャラリーは埋められた.多くの開かれた聴取によって今後「音楽」のあり方,聞かれ方はどう変化していくのだろうか.その先には一体何が出現するのか,興味は尽きない.

[畠中実]


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