テクノロジーを利用する動機について考えた

また,ジョン・クリマは3Dのデジタル・アニメーションと音が連動し,鑑賞者が操作できる《glasbead》を出品.若者向けというよりはお子さま向けで,作家自ら「音楽玩具」と呼ぶ娯楽色の強い装置である.

そして,デジタルでありつつアナログでもある作品 《ウッドゥン・ミラー》を発表したのはダニエル・ローズィン.それは,830枚の木片でできた,文字通り「木製の鏡」である.その前に立つと,木片が急速にかたかたと音を立てて動き出し,作品中央に埋め込まれたヴィデオカメラがとらえた鑑賞者の像を映し出す.一つ一つの木片にはモーターが備わり,コンピュータ制御でそれぞれが光源に対する角度を変えることによって,表面全体に濃淡が生じるからだ.この「鏡」には,先端ではないもののやや複雑な技術が用いられている.しかし,その画像は当然のことながら粗く,それでいて木の温もりも感じさせる.

といったように,「ニュー・メディア ニュー・フェイス/ニューヨーク」展では6名の作家の作品が展示された[★1].スタイルも方向性も,用いるテクノロジーもそれぞれ異なり,なかには「メディア・アート」と呼ぶには違和感を覚えるものも交じる.だが,そこで気づくのである.どのような作品を指して,「メディア・アート」と呼ぶのか,と.

思えば,ロー・テクノロジーだろうとハイ・テクノロジーだろうと「テクノロジー」であることには変わりなく,さらに言えば水彩絵具だって発明当時は画期的な先端テクノロジーだったはずだ.いつの時代にもアートはテクノロジーと切り離せない.あるいは,アーティストは作品を介して鑑賞者と接する以上,どのような作品も「メディア」と呼べる.なお昨今では,テクノロジーの面では優れていても,作品としては首を傾げたくなるような狭義のメディア・アート作品も少なくない.なかには,高度な先端技術のプレゼンテーションとしてアートが利用される例もあるほどだ.最新のテクノロジーを駆使するのもいいが,それに偏重するあまり,肝心の表現の核が見えづらくなるようでは話にならない.問題は,アートとテクノロジーがどう結びつくかである.

では本展はどうか.従来のメディア・アート展なら選に漏れたはずの作品をも含む展覧会をどう見るか.少なくとも,どの作品にも共通するのは,テクノロジーを利用した動機が明確な点である.表現のために不可欠だったからにほかならない.本展は,メディア・アートの定義をめぐって,議論の活性化を促す機会となるだろう.


■註

★1──本展にはこのほかに,4月23日ICCで行なわれたジャリード・ローダーによるパフォーマンス作品《コンポジット・セルズ》と 《オートハープ》が含まれる.詳細は本誌「ICCレポート」(p.185)を参照.

しんかわ・たかし──美術ジャーナリスト.著述活動に加え,展覧会企画も行なう.編書=『明和電機会社案内』(アスペクト),展覧会=「第2回アートライフ21 JOIN ME!」(スパイラル)など.


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