ICC Review

ICC Review

浮標からかいまみる遠い島影
─「サウンド・アート」展から,
「その先に」期待するもの

A Distant Island Glimpsed from a Buoy:
What to Expect "From, After" the "Sound Art" Exhibition

伊東乾
ITO Ken

「サウンド・アート──音というメディア」
2000年1月28日−3月12日
NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]



すでにとうになされていておかしくない仕事が,実際には手もつけられておらず,それにやっと最初の端緒が開かれたとき,人はそれを何と評すればよいのか.今回ICC に足を運んで得た,言葉になる前の思いを敢えて文字にすれば,このようなことになるだろう.「サウド」および「アート」という,誰にも耳慣れた二つの言葉,またその組み合わせ自体も決して目新しいものではないように思われながら,このようなかたちで正面から見据えられることは,実はいまもってきわめて珍しいことであるし,きわめて高い水準の仕事を11 点,それもICC という場で立ち上げたことは,いつもながら日常の奇跡というべき労作であって,スタッフの貢献は計り知れないほど多大であろう.まずそのことに深く敬意を表しておかねばならない.これは意味あるエクシビションである.それはさらなる可能性に開かれた豊かな展望に私たちを導く.そのことを強く確認したうえで,以下では,基本的なマナーとして一切おもねることなく,建設的批判を加えてゆこうと思う.

私には今回のイヴェントが,広い海原のただなかに一点立ち現われた浮標,ブイのように思われる.それは,やっと水面下から顔を出した,ということでもあるし,また決定的に根を欠いている,ということでもある.このことは,主催者あいさつの冒頭から隠しようのないかたちで現われている.そのまま引用してみよう.「『マルチメディア』という言葉からも連想できるように,メディア・アートは,視覚はもとより聴覚,触覚などから多元的に鑑賞者の感覚に訴えかける作品ですが,聴覚という,本来,受動的な感覚器官に積極的に働きかけてくる作品群が際だつようになりました」.ここで表現されている「本来,受動的な感覚器官」とは一体何か?聴覚が視覚以上に環境媒質から得られる振動情報を取捨選択的にフィルタリングして知覚的音像を意識の座に結ばせていることは第二次世界大戦後のあらゆる聴覚研究の基礎的了解事項であるし,そのことは「カクテル・パーティ効果」として知られる,多様な音場状況のなかから,物理的には微弱であっても選択的に必要な情報を検出できる聴覚能力は,テレビの科学啓蒙番組の水準で,一般視聴者にまで浸透している既知の事柄である.聴覚は本質的に能動的な感覚である.とりわけ80 年代後半以後の認知脳科学のパラダイム転換は,この能動性,もっと言えば「錯覚性」と言っても過言でない,物理的には外界に存在しない音や言葉までも,脳内の知覚的音像として補完してしまう能力こそが本質的であることを,個々のニューロンの発火の水準までつまびらかにしつつある.しかもこれについては私の共同研究者でもある畏友・柏野牧夫の解説論文が,ほかならぬIC マガジンにすら掲載されたほどである[★1 ].


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