戦争のエポック/芸術のメルクマール

サンテリアほかイタリア未来派の建築家が描いたスケッチ・プランは,今日,すべて実現されてしまっている.このように,印象派を起点とする20 世紀の「前衛芸術」の運動一般が,旧来からの大芸術の制度を打ち破り,「芸術」と「日常」の関係を回復していく企図をもっていたとすれば,未来派は,立体派や表現主義のもっていたドメスティックな空間の限界を凌ぐ構想を秘めていた.

一方1916 年,表現主義者から立体派・未来派の開拓者たちまでが集まったチューリッヒのキャバレー・ヴォルテールでの集団実験は,ほどなく「ダダイズム」と名付けられるのだが,彼らは,詩や文学,音楽も含めた「日常的関心の彼方にある実験の演劇」(フーゴ・バル)を渇望していた.詩と絵画,音楽の結合によって,これまでの「日常」生活を批判し,新たな芸術と日常との結合を欲していた.
1915 年の「未来派総合演劇宣言」にもみられるように,各ジャンルの同時発生性を受けとめる空間=場に価値をもたせ,そこでの意味の説明は不要であって,しばしば寄席芸的な即興性をも正当化するものだった.

この同時代性は,ロシア革命(1917 )直前の,ロシア構成主義の画家E ・リシツキーやM ・ラリオーノフたちもそうであった.K ・マレーヴィチは1915 年の著書のなかで,自分の作業を,「形態のゼロのなかで変身して,アカデミックな芸術の掃き溜めから抜け出し,その新たな絵画の形態のリアリティは,まさに無から生じた形態による構築性を明かしている」と書いたように,描く具体的な対象性を放棄して,まったき「無対象」の絵画に到達していた.ここには,機械的でアクロバティックな絵画思考の飛躍がみてとれる.


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