Feature: Diagnostics of the 20th century


戦争のエポック/芸術のメルクマール
The Epoch of War/Monuments of Art

高島直之
TAKASHIMA Naoyuki



II ―1914 1918
第一次世界大戦:
「規格化」の技術か「芸術」の技術か

第一次大戦前のヨーロッパ体制は,英仏露三国協商体制と独墺伊三国同盟とに分かれており,これら列強は植民地の獲得によって自国の利をはかるという帝国主義的拡張競争の途上にあり,バルカンをめぐっての利害関係から,1914 年,第一次世界大戦が勃発した.ヨーロッパ間の大量殺戮の戦争として,潜水艦や毒ガス兵器も本大戦で開発された.この14 年にドイツ工作連盟(DWB )の展覧会がケルンで開かれ,W ・グロピウスがデザインした工場モデル,B ・タウトの《ガラスの家》,ウィーン・セセッションのJ ・ホフマンらのデザインが展示されたが,その「規格化」か「芸術」か,の指標については,DWB の出自に関わるものとはいえ,諸傾向が混在していた.

ところで1900 年前後の画家,例えばV ・ファン・ゴッホ,E ・ムンク,P ・ゴーガン,G ・クリムト,そしてG ・デ・キリコたちは,近代都市に登場した「群集」の集団的社会意識に対抗するように,主観的な想像力=個性を死守する意識があり,彼らは時代に先行したがために,その画面には不安と畏れが入り交じっている.その結節点は後期印象派から表現主義にいたる流れにあるが,その基点には画家各人の「霊視」の力に頼った「芸術」と「日常」の関係回復の努力があったし,その賭金としての「空虚感」が内在していた.その緩慢な努力に対し,急速かつ徹底的な切断を提唱したのは未来派だと言っていい.

1914 年の「未来派建築宣言」でA ・サンテリアは,伝統的な重々しい感覚を切り離すために「軽く,実用的で,移ろいやすく,敏速な嗜好感覚」を言挙げしている.そのいささか抽象的な主張の受け皿は,新しい感性と精神状態を形成する「メトロポリス」像であった.このメガ・ストラクチャーを中心とする未来SF 的ユートピア指向は,はるか後の1960 年代に現実化することにおいて,現代建築の系譜のルーツとなっていった.


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