ジョージ・ソロス / 投資と慈善が世界を開く

 

 ロシアでは,ソロスの支援は国の教育体制を根底から揺るがせた.すなわち,マルクス=レーニン主義に基づく教科書を一掃し,省庁の全面的な協力を得て,新たに1000冊の教科書を作製したのである.また,学校の校長を再教育したり,革新的な学校に助成金を出したり,経済学に新しいカリキュラムを導入したり,ジュニア・アチーヴメント・テストのスポンサーになったりもした.ロシアに対するソロスの寄付は,当初は500万ドル,1993年には5億ドルにのぼり,その額はすでに,多くの西側政府の援助額を上回っている.しかしこれほど巨額な資金を取り扱うプログラムの現地担当者たちは,あまりにも大きな誘惑に抵抗できず,ロシアにおける慈善事業の運営は腐敗した.ソロスはロシアの政治的革命に寄与しようと試みたわけだが,膨大な資金をうまく使えずに苦労しているようだ.ソロスにとってお金を使うことは,お金を稼ぐことよりも難しい所以である.

 こうした活動のほかに,1990年,ソロスは「開かれた社会」を啓蒙するための機関として,プラハとブダペストに中央ヨーロッパ大学(CEU)[★13]を設立する計画をすすめ,翌1991年9月には講義が開始された.1994年7月,プラハの中央ヨーロッパ大学はポパーに講演を依頼したが,死期を間近に迎えたポパーはこの講演を引き受け,そこでソロスと再会している.1995年には,ブダペストの中央ヨーロッパ大学に新校舎が完成した.この大学に対してソロスは,年間1000万ドルの資金を最低20年間にわたって贈る予定である.

 一つ美しい話がある.ソロスは最近になって,ナチスのハンガリー侵攻の際に隠れ家を提供してくれたエルザ・ブロンテスさん(94歳)が存命していることを知った.そしてソロスによって小学校を建てるという彼女の夢がかなえられた.ソロスは着工式に立ち会い,かつての恩人ブロンテスさんと約50年ぶりに再会している.

 現在,ソロスの慈善事業は,年間3億5000万ドルにのぼり,世界40か国を網羅するネットワークで,約1300人のスタッフが働いている.慈善事業のコンセプトは,「開かれた社会」を啓蒙し,これを実践することにある.クロアチアのトゥジマン大統領は,「開かれた社会」を「危険な新イデオロギー」と呼んだが,ソロスの狙いはまさに,この新しいイデオロギーを布教することにある.「私たちに必要なのは批判的思考法であり,平和に共生するための機関と,意見や利害の異なる人々が共生できるようなルール,そしてきちんとした権力の譲渡を保証する民主政府,フィードバックをもたらし,誤りが訂正される市場経済,さらにマイノリティの保護およびマイノリティの意見の尊重」である.これに対して「閉じた社会」では,個人は集団に服従し,社会は国家に支配され,国家は一つの教義を真理として,絶対的な権力構造を打ち立てる.ソロスは「閉じた社会」に対して別の選択肢を用意し,批判的な思想を芽吹かせることによって,単一のドグマをもつ体制を内部から無力化しようと企てる.「開かれた社会」とは,単一の教義が相対化される社会にほかならない.

 もっともソロスにとって,「閉じた社会」を「開かれた社会」にするためには,慈善事業よりも投資のほうがはるかに有効な手段のようだ.東欧諸国に影響力をもちたいと思うならば,投資をちらつかせたほうがずっと効果的である.例えばルーマニアでは,政府は当初,財団に敵意を抱いていた.しかしソロスがポンド危機で活躍してからは,財団の運営はやりやすくなったという.ソロスは現在,東欧諸国に対して自己資金全1000億ドルの1−2%,すなわち10−20億ドルを投資している.ソロスはこれまで,西側で儲け,東側で慈善事業をしてきたが,最近では東欧諸国も投資のターゲットとしており,「悪徳資本家」としての半身を現わしはじめている.ソロスの使命は「開かれた社会」の理念を実現することであるから,そのためには醒めた現実主義の立場に立って,投資による権力行使もよしとするのだろう.

 以上の2節においてわれわれは,ソロスの人生と慈善事業について追跡してきた.以下の2節では,ソロスの哲学について,実質的な検討を試みたい.

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