山口勝弘インタヴュー/教育のアヴァンギャルド

その方法論はワークショップである

 教育の新しい現場をつくる場合,中心になった考え方というのは,ワークショップ精神だと思います.もちろんバウハウスもワークショップを中心に構成されていたわけですが,僕の場合は「実験工房」[★15]という精神的支柱がありました.実験工房はワークショップ精神というものを1950年代の初めに活動の一つの中心に考えていましたから,それが連綿としてつづいているのです.もう一つ言えることは,大学に入ると理論的な構成と分析という学問の方法が尊重されます.特に工学系は仮説をたてて実験をし,それを立証して発表するということになります.ところが芸術は,分析だけでは作品にならないわけで,そこで必要なものは,総合あるいは融合,結びつけていくという作業です.そして作品というかたちにして発表する.アーティストは,そういうことを絶えず考えているわけです.ですから,各大学にアーティストが教育者として入っていく場合でも,そのことによってアーティストのもっている一つの生き方あるいは教育についての考え方がきちっと引き継がれていると,そこではやはりアートのもっている目的と社会的意味が学生に伝わるわけです.ところが教育サイドに偏ってゆく先生が出てくると,その場合は教育だけで物事を考えてしまうんです.

 1980年代から90年代にかけていろいろな大学や専門の教育機関でさまざまな新たな試みが導入されています.その場合にどのくらいワークショップ精神が継承されて,しかも総合によって発表するという方法論がどれだけ実現しているか,僕はよくわかりませんが,知識の集積だけでは芸術は生まれません.ですから,美術館を含めた新しい社会的な機関が単なる知識や作品の集積になってしまうと,活動様態として危険なものになるのではないでしょうか.未来への挑戦というのは,いつもワークショップ精神のなかにあるわけですが,個々のメディアについての流れからみていくと,1960年代後半から70年代はヴィデオが一つのリーダーシップをもったハードウェアだったわけです.それにコンピュータが入ってきます.ハードウェアとしての「もの」を中心に,社会や企業が教育の広がりを認めていました.ですから,レーザーが実用化してホログラフィの撮影ができるようになると,それをアーティスティックな方法で利用することが広がっていくわけです.ところが,日本の場合は特にそうなのですが,不思議なことに「ヴィデオ・アート」「ホログラフィ・アート」という言葉が現在はもう流通しなくなっています.しかし外国に行くとこれらの言葉は,まだ使われているのです.このように社会の新しいハードウェア,あるいはソフトを含んだ芸術の分野を容認し受け入れるのだけれど,絶えず新しいものが次に出てくるのだという,いわゆる進歩,発展という一種の強迫観念が拭いきれなくあります.

 つまり,ホログラフィ・アートやコンピュータ・グラフィックスも最初は注目されましたが,いまになってみるとほとんど消費されているんです.それではどうすればいいのか.企業は絶えず社会のニーズを発見しながら新しい製品,技術力を発信して,商売していく.それに対して芸術は,ワークショップのなかで育っていくものであり,それはある程度時間のかかることなのです.同時にそこで一つの技術を自分が修得して,それを自分なりに消化して,自分なりの総合的なつかみ方をしないと生まれないものなんです.ところがかけた時間に応えるだけの作品を発表していく時間的余裕があまりにもない.大学教育というものは4年間をベースにしています.大学院が2年ついても6年です.大学にいるあいだは,新しい機材が使えるけれど,大学を出てしまったらとても自分では買えない.こういう状況が繰り返されているわけです.いわば大学にいるあいだは作品を発表して評価されるのですが,それが続かない.芸術家として作品を制作してそれを継続していこうとしても,それだけ社会とのギャップがあって続かない.これがヴィデオ・アートが発生してからいままで続いている教育と芸術の一番大きな問題と言えます.

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