山口勝弘インタヴュー/教育のアヴァンギャルド

 

 こうした実情は海外でも同じです.アメリカでも大学には機材が全部あって,それを使って制作する.しかしそれを続けることがなかなか難しい.ヴィデオ・アートにも,ホログラフィにもそういうことが言える.ニューヨークのホログラフィ・ミュージアムがつぶれてしまう.美術館そのものがなくなるんです.結局,完全に本人がホログラフィ一本でやっていくと覚悟を決めた人だけが続けていられる.もう一つ言えば,大学を卒業して大学の助手あるいは先生として残ったとします.そうすれば,大学の機材も使えて作品がつくれるではないかと言われます.ところが,現在の大学は,学務に非常に時間をとられます.大学の仕事もあるうえ,教育もやらなくてはならない.しかも学部と大学院を兼ねている先生が多いわけで,そうするとなおさら時間的余裕がなくなって作家活動が難しくなる,というジレンマに陥っています.

 そうした教育現場の事情を背景として考えた場合,企業にも創造的な活動――コンテンツが求められていると思うんです.そのために企業内に一種のワークショップ的なものができつつある――研究的な機能もあるのですが――それはいままでの大企業ではなくて,少人数のヴェンチャー企業みたいなところで受け入れやすい.一種のプロジェクト・チームみたいなかたちで仕事を進めていって,ピラミッド型の組織的な仕事はやらないというところが増えてきています.そこでは,ワークショップ精神の価値と方法が活かされる可能性があると思います.

 それと最近,ヴォランティア活動が盛んになって,社会的に定着してきました.阪神淡路大震災以降,ある年齢に達した人が社会に貢献するために,ヴォランティアとして仲介人の役をします.それをみて面白いのは,美術館が一番保守的だと思うんです.ヴォランティアで美術館の手伝いをしている人は,椅子にじっと座っているだけですよね.何か質問をしてもあまり答えてくれない.それは美術館そのものが,ヴォランティアの活かし方を考えていないのではないでしょうか.むしろ小さな美術館などのほうが,ヴォランティアの人たちが自分で勉強して,ギャラリー・トークなどで活動しているところもある.メディア教育そのものをもっとヴォランティア活動のなかに投入していいと思うのです.例えば学芸員の資格を取るために学生が美術館で研修する期間がありますが,彼らはまだ知識が十分に備わっていないし応用力がないからむしろ足手まといになっている場合もあるのに対して,昔ある程度美術を勉強したとか,昔コンピュータをやっていたとか,そういう人たちが入ってきたほうが美術館などでは活きるのではないか.ということは,メディア系の大学で,ある程度の年齢の人が学生として入ってくることは,これから生涯教育も普及してくるから多くなると思いますが,筑波大学でもそういう人たちが若い学生と同じ空間で学ぶことがあります.大学に籍をおいて,国内留学というかたちで,新しいことを勉強しようという学生が来るんです.

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