ロボットの生態系

個の同定は結果なのか, 要因なのか

浅田──いまやっているのは,例えばパソコンで,相手の大きさや向き,位置の変化の情報によって動きを予測して,それによって自分の動きを決めているということをしています.ある種他者の記述をつくっているんですね.自分の行動と観測される相手の行動の相関関係を取っていると言えます.ただ,まだ心の記述が少ないんですね.つまり先程アイ・コンタクトと言いましたが,実際はまだそこまでは行っていません.例えばロボットが2体あった場合に,相手のロボットがこちらのロボットの行動を認識するためには相手のロボットの視点が必要になりますが,現段階では,相手の視点がどこかを認識することはできません.ただし,もし相手の目の前にボールがあったときに,ボールの動きに連動して相手が首を振り回すといった因果関係を記述することによって,それが視点の動きかどうかまではわからないけれど,どうもそこが連動しているという記述はできるんですね.それはあくまでも後天的な話です.しかし完全に後天的にできるかというと,生物はそうでもないし,では何を埋め込んだらいいかということですね.

佐倉──生物の場合でもいろいろなケースがあると思います.動物のだまし信号として一番単純なのは,信号の意味が完全に遺伝的に形成されていて,それを悪用するというパターンです.例えばあるホタルは別の種のホタルを食べるのですが,そのメスが餌になるほうの種の求愛信号を出すんですね.そうするとオスがつられてフラフラと寄ってくる.それをメスが食べるという例があります.この信号のもともとの意味は,ほとんど遺伝的に埋め込まれていますから,何を使っているかという部分は決まっているのです.

あとアマゾン流域に棲む鳥でも,違う種同士で混群をつくるのがいるんですが――これは捕食者から身を守るためだと考えられていますけど――,そうすると餌場が十分大きいときはいいのですけど,小さな餌が足りなくなってしまうことがあるわけです.そのときに,自分たちではないほうの種の警戒音(捕食者が来たことを知らせる音声)を真似て鳴くんですね.そうすると相手はバーッと逃げていなくなってしまいますから,自分たちだけで餌を独占できる.「オオカミが来た!」と同じことですが,これも使い方が決まってる部分で別の信号を出して撹乱するというものですね.このたぐいのものは,ほかにもいろいろな動物で見られます.しかし,サッカーのフェイントでは,相手が自分の出している信号をどう受け取るかということまで見越して,意図的にだます必要があるわけで,これはかなり高度なことですね.

浅田──いま言われているテンプレートが,なぜ進化の歴史のなかでできたのかどうかが問題ですね.

佐倉──いろいろな遺伝的な変異があって,そのなかで適応的なものが残ってきた,と.試行錯誤というか自然選択の結果,できたと言われていますね.確かめたことはないですが.

浅田──このあいだ団まりな(大阪府立大学)さんという生物学者がおっしゃるには,明らかに意図がある,つまりパッシヴな状態では出てこないだろうと言うんです.何らかのかたちで遺伝子レヴェルか細胞レヴェルにおいて,何らかの意図が出てきているとしか解釈できないんですね.例えばテンプレートは単なる進化でできたのかどうか.この点についても,個というか遺伝子レヴェルで自然に出てきたのか,もしくは何らかのコーディングがあるのか,ということに興味があります.というのは逆に言うと,蛍にしても鳥類にしてもテンプレートについて言うと,ライフタイムにおいては変化があまりありません.しかし私が思うには,霊長類になって大脳皮質が発達すると可塑性が増すので,ライフタイムにおいて変化が起こりうると思うんです.それが,経験つまりライフタイムにおいて,スキルを獲得するメカニズムがわかれば,ロボットにも応用できると思うんです.

佐倉──鳥は学習能力はかなりありますから,生涯のあいだにかなり変わると思いますね.信号そのものの地域差はかなり大きいはずですよ.ホタルも,学習しているんじゃないかな.そういう意味では遺伝的なテンプレートと経験による可能性というのは相対立する概念ではなくて,量的な違いでしかない.ちょっと前からよく言われているのが,学習による行動変化が,遺伝的進化に先立つという考え方です.つまり,行動が生物進化のプロモーターとして作用するわけです.行動が変われば生物の生息環境そのものが変わりますから,それが何世代か続くうちには遺伝的組成も変わってくるということですね.

テンプレートと可塑性で思い出したんですが,第一製薬の古沢満さんが,遺伝子の進化について「不均衡進化仮設」という大変面白い仮説を出しています.DNAは二本線ですが,これは実際に使われる鎖は片方だけなので無駄に見える.いままでは情報の冗長性をもたせておく.つまり,何かあったときのためにバックアップをとってあるんだ,と考えられていたんですが,なんだかピンとこない話でした.古沢さんはそこに積極的な意義がある,二本鎖DNAを遺伝子にしたから,生物はこんなに急速にいろいろに進化できたんだ,というんです.

DNAの二本線は,じつはまったく同じなのではなくて,突然変異率の高いほう(連続鎖あるいはリーディング鎖)と低いほう(不連続鎖あるいはラギング鎖)があるんです.どういうことかというと,DNAの複製の方向は3'末端から5'末端へと決まっているんですが,二本鎖はその向きが逆に向き合っているんです(図a).
DNAの二本鎖全体が複製をつくるときは端から順に塩基の配列を読みとっていって複製するのですが,そうすると,二本鎖の片方(連続鎖)は全体の複製方向と同じにどんどん読んでいってそのまま複製を作れますが,もう片方(不連続鎖)の読みとりは全体の複製方向と逆になってしまいます.だから端から順に一定方向に読んでいくことができなくて,ちょっと読んではまた戻って,そこからまたちょっと読んではまた戻って……,ということを繰り返しています(図b,c).
せっせと小さな断片をつくりながら,後ろに下がっていくわけですね.この断片は岡崎令治[★12]さんという,当時名古屋大学にいた生物学者が1966年に発見したので,彼の名にちなんで「岡崎フラグメント」と言いますが,この「岡崎フラグメント」がたくさんできた後で,全部つなぎあわせて一本のDNAにするわけです.不連続複製と言うんですけど,こんな複雑なことをしているので複製の効率が悪くて,コピーミスが多い.つまり,不連続のほうは突然変異率がものすごく高くなるんです.だけど,コピーミスの確率を増やしてまで,いったい何でこんなめんどくさい複製をやっているのか? それはなぜDNAが二本鎖かということとも通じる疑問です.でも,「岡崎フラグメント」の発見から30年以上たつのに,いままでこのことはきちんと説明されていなかったんです.

そこで古沢さんが言うには,わざと突然変異率の違う二本鎖を組み合わせているのではないか.つまり片方(連続鎖)は正確に忠実なコピーができるから,少なくともいまの環境にいま現在の程度に適応している,その遺伝情報は確保できる.もう片方(不連続鎖)はコピーミスが多いから,いまとは違った遺伝情報ができやすい.そのほとんどは,だいたい駄目なんだけど,ごくごくたまに,いまよりうまくいくものが出てくる.そうしたら,今度はそっちをベースにして,複製を続けていけばいい.これを古沢さんは「元本補償制度」と言っているんですが,最低限の元本は確保しておいて,自由な部分で冒険してみるという感じですね.そういう,進化のために非常に優れたメカニズムをDNAはもっている.だから生物の遺伝子として,RNAやほかのものではなくDNAが残ってきたのだろう,というわけです.いままで,突然変異体には適応的でないものが多いからそれで進化できるのか,という疑問が多かったんですが,この仮説だとその点も解決できるので,私はとても面白いと思うんです.さっきの話に直接結び付くかどうかはわかりませんが,一方には基準となる不変のテンプレートがあって,もう一方でかなり大胆に周囲を探索する可能性を留保するという,その両面がないと,学習も進化もうまくいかないのではないかと思いますね.

浅田──それは面白いですね.例えば,コオロギの場合,オスのホロホロという美しい鳴き声にメスが反応して交尾するんですが,鳴くのがうまくないオスは,うまく鳴くオスの近くに行って,メスを横取りしてしまう.メスは,鳴いているのがどのオスかわからなくなってしまうからなんですね.つまり,自分がうまく鳴けないということをどうやって知るのか,そして,うまく鳴くものの近くに行って横取りするというのは,かなりインテリジェントな行動にも見えます.そうした行動を虫がとるからといって虫は,個を同定しているかというと,長尾隆司(金沢工業大学)さんという研究者は,個の同定は行なっていないと言うんです.私は個の同定が,さっき言った自我などに関わっていると思うんですが,コオロギにおいては生殖したいという本能にしたがって,そうした行動を取っているわけです.そこでは個の同定をしていないと言うんですが,私は同定しているんだとも思っています.  サッカーで言えば,A君,B君,C君と個を識別することで,敵・味方の違いはわかります.そして,味方のなかでもあいつはシュートがうまいからパスしてやろうということは,行動や学習を通して個を識別するメカニズムが何かあれば,チームワークによっていろいろなことができると思うんです.コオロギの場合,個の同定はしていないと言うんですが,それに近いレヴェルの賢さをもっているとも言えると思います.

佐倉──いまおっしゃられたのは,「間男戦略」と言ってヒキガエルとか魚とかいろんな動物で同じようなやり口が見つかっています.自分がうまく鳴けないことをオスがどうやって知るかというのは,難しい問題ですが,単純にメスが来ないからではないですかね.それと,どういう条件が満たされると個の同定と言えるのか,ちょっと浅田さんのおっしゃっているのがわからないところがあるのですが,やはり脳というか中枢神経系の発達がものすごく関係していると思います.

浅田──鳥類は社会生活を営みますし,一夫一婦制を取っているものもいますね.あれは明らかに個を同定していることを示しますね.コオロギの場合はメスとならばどんなものとでも交尾しますから,社会性ということはありませんが…….

佐倉──コオロギはやはり無理でしょうね.コオロギみたいに,卵を大量に産む生物は,そのなかで淘汰がかなりきびしく行なわれてしまいますから,同定してもしなくても,結果的に数で勝負というか,生き残ったものが個という,結果オーライなところがあります.鳥類や哺乳類のように,一回に数匹の子供しか産まない生き物では,一個体一個体が大事になるので,「個」の重要性が出てくるのでないか.もちろんコオロギでも個体差があるにはありますが,それが個々の行動の決定要因になっているかというと,望み薄のような気がします.

浅田──つまり個を同定する必要がない限り,同定はしないと.しかし進化の歴史を考えてみると,個の同定が結果なのか要因なのかはわからない…….

佐倉──生物の進化の過程で,多分二つの道があったと思うんです.一つは,統計的にしか個が出てこないもの.つまり,コオロギのように匿名性の世界で成り立つもので,ミツバチやアリのように社会性をもつとしても,それは個体性の結果として社会が出てくるのではなくて,あくまで集団が単位として考えられる生物です.もう一つは脊椎動物のように,一つ一つの個体を大事にするもの.人間がその典型ですよね.地球上の生物はこの二つに,どこかで分かれていったのではないか.前者の場合,個とか個体差というのは結果でしかないけれども,後者の場合は,個性というのが重要になると思います.多分ロボットの場合は,目指しているのは個性をもつことでしょうが,現状の行動能力は匿名的なものなんでしょうね.

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