特集: 漢字 WAR/コンピュータ会社と日本語
漢字という文化装置

ラジオ型言語とテレビ型言語

──先生は「日本語はテレビ型の言語である」とご著書の中でおっしゃっています.非常に強い視覚的な表象である漢字の能力は,以前から指摘されてきたのですが,マルチメディアなどと言われる時代にあって,漢字がもっている視覚的な要素と音声的な要素との関係はあまりちゃんと理解されていないように思います.「テレビ型言語」について,言語の専門家以外にも理解できるように整理していただけますか.

鈴木── 日本語は,文字表記という視覚情報を併用しながら伝達を行なっている言葉だということです.この点が音声の区別のみに依っている「ラジオ型の言語」とは異なっているんですね.日本語がなぜ「テレビ型」にならざるをえないかの原因は,音の種類(音素)が人類の言語のなかでも非常に少ないタイプの言語だということにあります.音素はフランス語36,ドイツ語39,そして英語の45に対して,日本語では23です.これはたくさんの違った単語を組み立てる場合に非常に不利なのです.
しかもこの音素を組み合わせるときの自由度が,日本語ではきわめて低い.大ざっぱに言えば,CVつまり一つの子音(Consonant)と一つの母音(Vowel)の組み合わせしか認められないのです.他の言語では,子音と母音がいくつも複雑に重なり合うことができるので,長さの短い使いやすい単語がいくつでもできます.しかし日本語の場合,単語を短くすると,音の種類と組み合わせの自由度がないため,同音語になってしまうのです.

 世界の言語で,一つの音のまとまりに80もの意味があるのは日本語だけなんです.例えば文字に関係なく「kou」という音声を出しますね.するとこれには80ぐらいの意味がある.普通の人でも,「甲」「港」「黄」「紅」「口」など,30から40ぐらいの意味を言うことができます.こうしたものすべてが,「kou」という音に託されているので,単独では意味をなさない.それが文字の情報が付加されてくることによって,例えば「黄」といった具合に意味が決定されるのです.
しかしこのような同音の多義性は,ヨーロッパ語だと,辞書レヴェルでもおそらくは5つが最高ですね.だから日本にすごく文盲が少ないのは,文字の知識がないと一般生活ができないからです.ヨーロッパですと,文字はインテリ層のもので,普通の人は話し言葉の世界,ラジオの世界に生きている.一方,日本人はテレビの世界に生きているんです.私はどちらが良いかは論じませんが,どうしても言いたければ,ラジオとテレビでは部品数の桁が二桁は違うんだということです.
ヨーロッパの文字は,音に過不足なく情報が入っているのをそっくり文字に写したものです.ところが日本語は,音だけだと情報の一部しか表わせない.そこに出てくる多義性や曖昧性を文字で決定するんです.外国語の学習でも,視覚に頼る癖が小さいときからついている日本の学生は「それはどう書くんですか」と聞きたがる.だから文字抜きで教えるオーラル・メソッドの外国語教授法は,日本人相手だとうまくいかないのです.

――アメリカに留学している語学留学生も,ネイティヴ・スピーカーの発音する単語が聞き取れないとヒアリングのトレーニング中でも「どんなスペルですか?」って聞きたがるそうだし(笑).

鈴木――それは文化的な訓練の結果だと思います.別に日本人の本性がそうだというのではなくて,小さい頃からある音を聞くと,それがどういう視覚的表象と結びつくのかを考えることが多いために,英語でも韓国語でもとにかく文字を教えて下さいとなる.
ところが,外国人の先生は文字を教えると逆に言語の習得が遅くなると言うんですね.こんなわけで,日本語は人類語のマトリクスのなかで特殊な位置にあると言うことができます.良くも悪くもとにかく,この事実を踏まえないといけない.

外国人による日本人のための日本語研究

――ここで社会の変容という側面から,日本語や漢字の問題を考えてみたいと思います.日本も高齢化社会が進行して外国人労働力に頼らざるをえなくなるかもしれません.そうなると,必然的にたくさんの外国人が入ってくることになります.産業の空洞化を回避するためには,外国人労働者の流入は避けられない現象です.
そのとき日本語が揺らぐ問題が必然的に出てきますね.日本語を使って仕事をし生活を営んでいながら,あまり漢字は知らないといった人々も増えてくるかもしれません.そうなると,これまでのように「正しい日本語」とか「美しい日本語」とは言っていられなくなりますね.

鈴木――その通りです.もし自分の国の言語を純粋に保ちたければ,外国人に教えたり世界に広めてはいけないのです.英語がいい例です.シェイクスピアの時代には,世界中に400万人しか英語を話す人がいなかったのに,それが4億人になったときに,当のイギリス人が「これが英語かよ」と思うような言語になってしまった.箱入り娘を外に出せば悪い虫がつくかもしれない.
しかしいつまでも家においておけば,歳をとって貰い手がなくなってしまう(笑).だから国際流通性を獲得するというありがたい面の裏側で,美的には耐えられないものになっても我慢するというのでなくてはならない.日本語も,日本の経済力が高いままでいる限りは広まりつづける.すると日本語は外国人によって刈り込みを受けます.外国人によってどんどん日本語が変質・変容していく可能性は覚悟しておくべきでしょう.

 そして日本語研究についても外国人のほうが良い成果を出すかもしれない.現在ですと,どうせ外国人の日本語研究なんて大学院生程度だとたかをくくっていますが,イギリスを例に取ると,大陸の学者の英語研究のほうが盛んだったので,これではいけないとイギリスの学者が本格的に研究を始めたという歴史がありました.
外国人のほうが他者の目で研究できるので,そのほうがいいという利点もあるんですね.だから内からしかできないものはともかく,外からやったほうがいいものは開放すべきです.ところが,日本語は外国人にはわかりっこないという態度は外国人にいらだちを与えるし,だいいちそれは事実でもない.

――日本文学研究でいい仕事をしている外国人研究者もたくさんいますよね.

鈴木――たくさんいます.しかし,国文学者や日本の文学者のなかには,そうしたものを評価しない人も多いですね.ドナルド・キーンの書いた日本文学史の本などは,これまで日本人は誰も書いていないものです.
でも,ヨーロッパの例を知っていればそんなことには驚かないんです.フランス文学史をイギリス人が素晴らしい本にまとめるし,イギリス文学史もフランスの研究が良い,ということがある.

――冒頭に僕が挙げた文字コード問題は,すでに日本語が外国人によって刈り込みを受けつつある現象の一つだと言えるかもしれません.そのことを考慮に入れると,ある意味でいまは漢字あるいは日本語を問い直すいいチャンスなのかもしれません.そもそもコンピュータは,僕たちが使っている言語を文字コードというコード体系で相対化してしまっているわけですから.
外国人労働者という生身の人間がやってくる以前に,インターネットをはじめとするコンピュータのネットワークに基づくコミュニケーションのあり方が,日本語を急速に相対化しつつあるとも言えるわけです.
その事態の進行は,日本語を科学的に相対化しようとしてきた伝統的な研究者の思惑をも大きく超えつつあるのだと思います.長い目で見れば,コンピュータは,漢字仮名混じり文の研究を外国人にやってもらえるような環境を少しずつ整備しつつあるのかもしれません.もちろん,僕のような言語の門外漢が捨て石にならなければいけない場合もあるわけですが(笑).

鈴木――私は保守的な老人ですが,でも日本語の美しさを永遠に守るなんてことは考えませんよ.それならば箱に入れておくに限ります.ただしたとえ外的接触がなくても,世代差というものがあり,文化遺伝においては不完全学習などの理由でズレが生じてくるので,外部から切り離しておいても変わるんです.
しかし外の影響にさらされるとあっという間に変わります.変わることを怖がっては駄目なんです.変わらないもの,不変のものなんてこの世にないのですから.

 日本語は歴史的に見ればあまり変わらないほうだと思いますね.英語だと古いものは普通の学者にはまったく読めませんから,文化的連続性が感じられません.日本人はたとえ自分で読んだことがなくても記紀や万葉までが自国の文化だという感覚がありますが,イギリス人にとっては14世紀以前は外国です.
文明の統合原理がイギリスは4回切れています.紀元前にシーザーによってローマ化された.そしてゲルマンの民族移動で侵入してきた異民族によって,先住ケルト民族は海の向こうに追いやられたか,あるいはウェールズに追いつめられてしまった.次にスカンジナヴィア経由でゲルマンの第二波にかき回されて,最後にフランスからのノルマン・コンクェストで300年占拠されました.だから英語という言語はいろいろな言語のごったまぜなのです.

――くどいようですが,やはり外国人の研究者に漢字仮名混じり文を一度論じて欲しいですね.

鈴木――それは是非やってほしいことですが,先程申し上げたように,グラフィック的なものは言語学の対象ではないという呪縛がまだまだ強いため,実現が難しいでしょうね.アメリカは特にそうです.最も見込みがあるのはフランスです.

エジプト学の根がありますから.ドイツやフランスの若い学者でそうしたことに興味がある人と日本の学者が協力していくといいですね.これは余談ですが,フランスで日本語の研究をやった人はみな疎外されて,自殺するかノイローゼになるか若死にするらしいんです.だから本当の日本の良さはフランスでもなかなかわからないようです.
フランスはわりと外国に理解があって,日本を理解する人もいるんですが,フランス本国で地位を得られないし,本も売れないというので悩むらしいです.たいてい不遇ですね.

――僕はそういう人たちを不遇にしないためのキーワードが,先程先生がおっしゃった「テレビ型言語」と「メディア」だと思うんです.

鈴木――そのことを日本人が理解して援助すればいいんです.ところがそれが文化侵略になるのではないかと言って,50代を中心とする官僚や教員は,向こうがやってくれるのはいいけれども,こっちがどうぞと言うべきではない,と尻込みしている.しかしお金を出さなければ駄目ですね.日本の本を送るのに国際交流基金を使えばいい.
しかもいらないところに送りつけるのではなくて,必要なのに予算がなくて困っているところに送るだけでもすいぶん違うのに駄目なんです.これは日本の官僚に,日本文化は世界に何かを付け加える良いものをたくさんもっているという自己認識が欠けているからなんです.お茶とお花,それにせいぜい歌舞伎と相撲,そして折り紙といったものくらいしか…….

――お決まりの逆オリエンタリズム(笑).

鈴木――つまり彼らの生活の飾りにはなるけれども,根幹を変えることがない.ところが,日本は幕末・明治に根幹から変わりましたね.戦後もアメリカの影響ですっかり変えられた.
このように日本は,他の文明によって根幹が揺さぶられることに慣れていますが,向こうはそれを認めないし許さない.この点を変えていくこと,つまり欧米文化を少しでも日本化する努力がいま最も重要なことだと思います.経済や技術の面では日本が世界に大きな貢献をしたように,文化や言語の面でも同じことが必要なのです.

[1998年10月1日,ICC]


すずき・たかお――言語社会学.慶應義塾大学名誉教授.著書=『ことばと文化』『日本語と外国語』『教養としての言語学』(岩波新書),『閉された言語・日本語の世界』(新潮選書),『日本語は国際語になりうるか』(講談社学術文庫)など.

かつら・えいし――情報学.東京造形大学助教授.著書=『インタラクティヴ・マインド』(岩波書店),『メディア論的思考』(青弓社)など.編著=『20世紀のメディア3――マルチメディアの諸相とメディアポリティクス』(ジャストシステム).
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