InterCommunication No.16 1996

InterCity KWANGJU


「民主の地」での国際美術展――光州ビエンナーレ 1/5

直言って,「政治と芸術」というような問題にはあまり関わりあいたくない.しかし,政治的背景抜きに1995年の光州ビエンナーレを語ることはナンセンスだろう.それは,それが単にビエンナーレ開催の背景にとどまらず,ビエンナーレのテーマや方法論,そこに実際に展示された作品の傾向に深く関わっていたからだ.そしてそれは単に光州の政治的状況のみの問題ではなく,芸術を独立した美的表現と考えるか,それとも社会をも含めた見る側の受け取り方にまで及ぶ行為と考えるかという問題に関わってくる.「境界を越えて(Beyond the Border)」展(光州ビエンナーレの本展 )と特別展の一つとしてナムジュン・パイクが企画した「インフォアート(InfoART)」展について報告する前に,なぜビエンナーレが光州で実現したかについて,知りえたところを書いてみたい.実は「インフォアート」もまた「光州」の持つ象徴的意味と深く結びついている.
州市の人々にとって,ビエンナーレが形を見せはじめた95年春から光州事件(80年)の責任追及がついに始まった96年春にかけての季節の移り変わりは,ことさら激しく,輝かしいものだったに違いない.光州事件の怨念と光州の文化的伝統に対する自負が,中央政府の力を借りずに国際的なビエンナーレを実現した原動力だったことは,群衆が市街を埋め尽くした前夜祭の興奮からも見て取れた.ビエンナーレ開催は,かつて韓国で最も民主主義的だったために戦車に押し潰された光州が,最先端の文化によって(もともと光州は書画で知られた文人の都だった)首都の頭越しに国際舞台に躍り出ることを意味していた.前夜祭の身動きもできない混雑の中で「ビエンナーレの歌」の大合唱を聞きながら,現代美術が一般の人々にとってこれほどの意味を持ったことが今までにあっただろうかと考えた.その意味がほとんど政治的なものだったとしても.


[次のページに進む]
[最初のページに戻る] [最後のページに進む]