InterCommunication No.16 1996

InterCity KWANGJU


「民主の地」での国際美術展――光州ビエンナーレ 2/5

内各所にはビエンナーレのロゴと共に「民主精神の地,光州」等の標語が誇らしげに掲げられている.金大統領の視察予定が二転三転し,開会式出席も取りやめたのは,政権に対する光州市民の憤懣が怖いからだと聞いた.実は私が2年余り師事した李応魯は韓国出身の高名な画家で,かつて欧州滞在中に拉致されて連れ戻され,獄中で醤油と飯粒でひそかに絵を描いていた人である.今回の展示にも亡命先のパリで光州事件に抗議して描き続けた晩年の作品群などが含まれている.李先生の弟子だというと光州の人は驚き,心を開いてくれた.光州ビエンナーレを「韓国の」国際美術展,と考えるのは正しくない.これがソウルで開かれたとしたら,その意味合いは全く違ったものになっていただろう.
解を恐れずに言えば,光州ビエンナーレの最大の特色は,芸術の社会的意義という前提にある.「光州ビエンナーレ宣言文」は,芸術の存在意義を政治,産業,歴史,伝統,そして科学との相関関係において現代社会の中に明確に位置づける.芸術至上主義に真っ向から対立するこの宣言文は,それまで抑圧されてきた側の視点から現代美術の世界的状況を捉え直し,芸術によって政治的対立や歴史の歪曲を克服することを目標に掲げたという意味では,ナチスが芸術を政治に利用した意図とは対極にある.「境界を越えて」とは,抑圧されてきた側が抑圧する側より精神面において優位に立ち,和解を提示する図式である.変化しつつある韓国の国内・国際情勢の中,このような理念に基づく現代美術のビエンナーレがアジアの一角で継続するとしたら,それはどのようなものになっていくのだろうか.
貫工事や準備不足にもかかわらず,ビエンナーレは韓国を含め,アジア,アフリカ,中南米などの作品が発散する荒々しいエネルギーの混合物に包まれていた.大賞を獲得したキューバの若いアーティストは,出国はしたものの帰国できるかどうかわからない状況で身一つで現地入りし,拾ってきたビールの空き瓶と小舟のような鉄の箱とオールで,当てもなく漂流する現代社会を表現した.作品の多くがインスタレーションで,映像やインタラクティヴな手法に独自性を見せた秀作もかなり見受けられた.


[前のページに戻る] [次のページに進む]
[最初のページに戻る] [最後のページに進む]