InterCommunication No.15 1996

Monograph


はじめに

 20世紀後半に登場した決定論的カオス(deterministic chaos)という現象の発見は,それが,自然現象や社会現象などの複雑系の背後に潜んでいる,ということを示唆するだけではない.ある値Xを通常の2次方程式に代入し,得た値を再びXとして繰り返し代入してやる.電卓やコンピュータを使って誰にでもできるこの作業で,カオスは客観的存在として,万人の前に現われる.複雑なシステムの奥底にカオスが潜んでいるのではない.きわめて理路整然とした純粋な数学の世界のうちに,カオスは登場してしまうのである.

 従来は,これが何らかの誤差やミスのせいだとして,誰もその存在を予想しなかった.1世紀前の科学哲学者アンリ・ポアンカレは,三つの星の相互関係を考察する三体問題を考えている場面で,直観的にこのカオス問題を予測した.「……初期値における小さな違いが最終的な現象に大きな違いを生み出すかもしれない.こうして予測というものはもはや不可能となり,われわれの前には偶然の現象が残されることになる」(『科学と方法』).ポアンカレが予想した,〈絵にも描けない複雑さ〉は,今日では,コンピュータ・グラフィックスの力を借りて,万人の前に表現されるようになった.

 この決定論的カオスの存在は,アリストテレスから今日にいたるまで,つまり,全西洋哲学を支配してきたある根本的前提を根底的に見直す契機を提出しているのかもしれない.それは例えば,機械論と目的論,必然と偶然,統一性と多様性,本質と偶有性,などの二項対立の形で言い表わされてきたものである.誤解を恐れず言えば,〈単純なものは単純なものから.複雑なものは複雑なものから〉テーゼとまとめてしまってもよい.
 決定論的カオスは,これらの二項対立を(あまりに手垢のついた言葉なので使用したくないが,他に適切な表現がないので)止揚(aufheben)する.


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