InterCommunication No.15 1996

Monograph


〈計測しえないもの〉としての影
――法則把握と現象支配の溝


 近代の根本的な出来事とは,主体としての人間が,像として世界を征服していくことであった.ラプラス的表現に代表させれば,〈ある時点での完全な状態と,それを支配する法則がわかれば,その現象は完全な予知と支配と制御のもとにある〉という世界観だった,といえる.
 1970年代から始まる決定論的カオス研究は,繰り返しになるが,あるシステムが「ある時点での状態(初期値)が決まればその後の状態は原理的にすべて決定される」という決定論的法則にしたがっているのもかかわらず,ひじょうに複雑で不規則かつ不安定な振る舞いをして遠い将来における状態が予測不可能な現象のことであった.つまり,法則の把握と現象の支配との間に,大きな裂け目が生じたのである.
 近代の発想は,ある現象の正確な法則を把握することは,そのまま,その現象の今後を予知し,支配し,統御することだ,と考えていた.F・ベーコンが近代の冒頭に,「人間の知と力は一つに合一する.自然は,これに従うことによって征服される」と語ったことはあまりにも有名であるが,しかし,決定論的カオスが明らかにしたことは,あるシステムの根本的な法則を把握しても,そのシステムを人間が主体として,完全に支配と処理のうちに置いたことを意味するわけではない,という点だったのである.
 そして,現在カオス研究がつぎつぎ明らかにしているように,線形的システムはむしろ例外的存在であり,われわれを取りまく自然現象や社会現象が,多く非線形的システムであり,カオス的要素を多く含んでいるとしたら,操作=処理=支配=予知=統御可能としての世界,つまり,〈世界像の時代〉は,今後みごとに崩れさることになるのかもしれない.そして,それは同時に,〈主体としての人間〉という発想の崩壊であることは言うまでもないだろう.
 ハイデガーは,先ほどの「世界像の時代」の末尾で次のように語っている.「ところで,計画,計算,設備,保安の巨大なものが,量から独自の質に飛躍するに及んで,この巨大なもの,一見つねに余すところなく計量されるべきものが,ついに計量されえないもの(das Unberechenbare)に転化します.人間が主体となり,世界が像となるに及んで,計量しえないものが見えない影(Unsichtbare Schatten)となって,地上一切の事物を覆っているのです」.
 この影,それは,世界が計量可能であると思われ,人間が主体として,世界を支配統括しきったと思われるその瞬間に,計量しえないものが見えない影となって,地上一切の事物を覆う.
 物理学が数学と手を組むことによって成立してきた世界像の時代,つまり,人間中心主義の時代.その崩壊を,ハイデガーはここで見事に予感している.しかし,その崩壊が,徹底深化した数学的物理学自身によって着手されようとは,ハイデガーも想像していなかったのかもしれない[★11]


(くろさき まさお・哲学)


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