InterCommunication No.15 1996

Feature


ハイテク,美術館,新たなヴィジュアル・リテラシー 1/5

力しあって美術館体験をリフレッシュしようではないか.キュレーターたちはこうした総意を繰り返す.未来はすでに始まっているのだ.ワシントンDCのナショナル・ギャラリーからサンフランシスコ現代美術館(SFMOMA)にいたるアメリカ全土の美術館が,その黄金時代を超えて文化を送り届ける新しい方法をいま開拓中である.
きりに囁かれているのは「教育」という言葉だ.そして「観客の育成」や「技術革新」といった言葉も.テクノロジーは道具(ツール)であり,遊具(トイ)であり,「ここ」から「そこ」に至るためのよき支え綱である.「スーパーミュージアム」のなかに足を踏み入れてごらんなさい――字義どおりにも,あるいは比喩的な意味でも.現代の展覧会の電子メニューにざっと目を通してごらんなさい.あるいはデジタル化された時空の旅をゆっくりと楽しんでごらんなさい.インタラクティヴなコンピュータ,オーディオ=ヴィジュアル・カセット,CD-ROM,ヴァーチュアル・リアリティ(VR),ハイテクを使ったオリジナル・アート,熱狂的なWebサイバーファンが美術館の黄金時代に挨拶をおくる.だれもが等しくアクセスできる時代,「アートはみんなのために,みんなはアートのために」の時代において,文化的なエリート主義はついに消滅するだろうとひそかに予言するものすらいる.
イクロチップ化された未来においては,美術を見る体験が生身の肉体から分離してしまうのではないかと考える懐疑派もたしかにいる.デジタル化した美術館は,その利用者を,美的対象と一対一で向かい合うときに経験する,より肉体的な影響作用から引き離してしまう,と彼らは警告する.画素(ピクセル)によって感動というものは消滅し,伝統的な美術が優勢を誇る現在の社会構造自体に,目に見えない変化が起こりそうだと感じているのである.
かし,懐疑派はごくまれにすぎない.まして,テクノロジーを洗練されたマーケティング・ツールとして積極的に受け入れているアッパー・クラスの美術関係者にはまったく存在しない.美術館の専門家たちは,エキサイティングで教育効果もあるインタラクティヴな通信ケーブルについて熱っぽく語り,その話題はヴァーチュアリティそのものも含めてほとんどあらゆるものにわたっている.彼らは,印象派やキュビスム,あるいはあらゆる大きな流派を合わせたほどの(それ以上の,とまでは言わないにしても)インパクトを秘めた美術「流派」の夜明けに拍手を送る.むろんだからといって,懐疑派の懸念を無視しているわけではない.単に意見が違うだけなのだ.
はいえ,世界秩序が一新した今日,文化の商品化は必然的な帰結である.そこで課題となるのは,教育的な本物のハイテクの体験が,オリジナルな美術との真に感動的な出会いを単に代用するもので終わらせないために,どうやってテクノロジーを利用するかだ.サイバースペースに基礎をおく世界においては,保証措置(セーフ・ガード)の精神にもきわめて重い責任がある.


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